大河ドラマ『どうする家康』第20回について

大河ドラマ『どうする家康』第20回について

第20回「岡崎クーデター」
今回はハラハラした展開だった。

今回のあらすじ

前回のあらすじで武田信玄が亡くなったことをお伝えしたが、その嫡男・四郎勝頼も信玄に劣らず軍略・知略に溢れていた。
信玄の3回忌が過ぎても、まだ徳川と武田の戦は終わらず、徳川軍の所領はどんどん攻め込まれ、落とされていった。
そんな信玄の跡を継いだ勝頼が次に攻めるのは、松平信康(家康の嫡男)が城主を務める「岡崎城」であった。

当然岡崎に援護に行こうとした家康だったが、ここで長きにわたる疲れからか熱を出して倒れてしまった。
家康は出陣できなくとも、家臣の本多忠勝や榊原康政らが援軍として向かった。
(石川数正や平岩親吉は前々から岡崎城で常駐していた)

しかし、信康が総大将であっても、武田軍はとても強く、たくさんの死傷者を出した。
たくさんのケガ人を前に、瀬名やその娘・亀も手当てに走るのだった。
信康の家臣・山田八蔵は懸命に手当てする瀬名に心打たれていた。
そんな瀬名に八蔵が何か言いたげなところもあったが…

ところが、この戦にはがあったのである。
なんと!信康の家臣の大岡弥四郎をはじめとする多くが、武田側に寝返り、信康や瀬名の命を狙おうとしていた。

黄色い背景の中、抜こうとしている短刀

一同は夜の寝所へ向かい、決行しようとしたが、彼らの寝所にいたのは家康側の家臣たちであった。
(その中には、家康をののしっていた「井伊万千代(後の直政)」もいた。)
徳川内で同士討ちになり、家康家臣らが大岡弥四郎どもを捕えた。

なぜ、家康家臣が瀬名たちを守れたかというと、瀬名が山田八蔵の動きを見抜いたからであった。
それを信康や数正たちが把握していた。

弥四郎たちは武田側に仕方なく従ったのではなく、自らの強い意志で徳川方より武田側を選んだと豪語するのであった。
「信長にくっついている限り、戦いは永遠に終わらん、無限地獄じゃ」それが家臣たちの本音だった。

信康の家臣は裏切り者であったが、家康側は井伊万千代が家臣として新たに加わった。
なぜ我が家臣になろうとしたかと問う家康に、井伊はこう答えた。
「今までの殿様は武力で押さえようとすることが多く、民が苦しんだり、悲しんだりするところをたくさん見てきた。けれども、家康の下だと、民たちが笑顔になる」
普段、家康のことをバカにしている民たちだったが、その場は笑顔で満ちていたのだ。

岡崎でのクーデターは失敗に終わったが、武田勝頼はあきらめてはいなかった。
そして、次のターゲットの場所を定めるのであった。

今回の見どころ

今回は岡崎城のゆくえが見どころであった。
家康の嫡男・信康が岡崎城の城主になって、その家臣も大勢いるが、その多くが武田側に寝返った。
特に大岡弥四郎は、公式サイトによると、瀬名や家臣たちも信頼を寄せる切れ者と紹介されていたが、その切れる頭がとんでもない方向にいってしまった。

多くの裏切り者を出した岡崎城の今後が気になる。

通説との違い

ドラマでは、武田側が仕掛け人でそれに信康家臣側が乗ったような描き方になっていますが、通説では逆の可能性があります。
弥四郎側が武田勝頼と内通することを考えたそうです。
弥四郎が勝頼に対して、勝頼の部下を複数人岡崎まで差し向けてくれれば、城主の信康を討ち取れると手紙を送って持ち掛けました。

また、ある説では、武田勝頼が遣わした歩き巫女(ドラマでは千代)が入り込んで、松平信康を国主にしようとそそのかし、築山殿(瀬名)が加担したから謀反が起こったという話もあります。

大岡弥四郎はどのような武将だったのか

まず、大岡弥四郎がいつ産まれたかは不明です。

ドラマでは信康の補佐役の立場でしたが、それ以前は中間(ちゅうげん・下層の侍)だったといわれています。
当初は徳川家康の馬丁(馬を引く職務)として仕えていましたが、計算能力が高かったので、徳川家康に重用されます。
また、嫡男・信康の傍で働いてもらっていることもあって、信頼できる人物と見なされるようになりました。

当の弥四郎も徳川家康と信康の両者に仕えて、浜松城と岡崎城を往復するくらい忙しかったそうです。
ついに、岡崎町奉行まで出世しました。

キャリアアップ、給料アップ順調に見えた弥四郎のキャリアでしたが、とうとう1575年に「大岡弥四郎事件」が起こってしまいます。
それがドラマでも描かれた「岡崎クーデター」です。
これが行われた背景は【通説】の欄でも説明しましたが、まだ説があります。
それはキャリアが順調だった弥四郎が調子になっていた説です。

繰り返します通り、弥四郎は能力が高かったことから、徳川家康・信康親子共に気に入れられていました。
それが弥四郎自身もまた、「家臣の中でも自分が一番」だと増長していったのです。
その結果、他の家老の意見ができないほどに権力を振りかざすようになっていき、いくつかトラブルが起こるようになりました。

そのトラブルを徳川家康も知ることとなり、横暴だと判断されたため、罪に問われて家財を没収されるまでに至りました。
こうした背景が徳川に恨みを募らせるようになったともいわれています。

しかし、そのように目論んでいたクーデターも失敗に終わります。
ドラマと同じように通説でも弥四郎は拘束されます。
そして、自身はもちろん、妻子も処刑されました。
妻子ははりつけの刑ですが、弥四郎は土中に埋められ、通行人に竹のこぎりで引かれる「鋸引きの刑」に処せられました。
処刑された年も1575年でした。

今回の配役

大岡弥四郎を演じたのは毎熊克哉(まいぐまかつや)さんでした。

略歴

広島県福山市出身
高校卒業後、映画監督を目指して東京映画・俳優&放送芸術専門学校に学んだ後、俳優の道へと進む。

転身した当初はVIVIという芸能事務所に所属。2010年に舞台『TIC-TAC』で初舞台にして初主演を務める。
そして、小路紘史監督の長編デビュー作品『ケンとカズ』が、2015年の第28回東京国際映画祭にて日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞したことで話題となる。

毎熊自身は同作での演技が評価されて「第71回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞」や「おおさかシネマフェスティバル2017新人男優賞」、「第31回高崎映画祭最優秀新進男優賞」を次々に受賞して、一躍脚光を浴びた。

今までの主な代表作(ドラマ)

  • 坂の上の雲(NHK)
  • みをつくし料理帖(NHK)
  • 京都人の密かな愉しみ Blue 修行中(NHK BSプレミアム)
  • まんぷく (連続テレビ小説)
  • Iターン
  • 恋はつづくよどこまでも
  • ドクターホワイト
  • 初恋の悪魔

など

まとめ

今回の話で大岡弥四郎について、取り上げてみました。
ドラマでは覚悟のある男として演じられていましたが、通説を追うと自分の出世を鼻に掛けたり、横暴なところもあったりと、印象が悪い部分がみられました。

それと、ドラマでは瀬名たちに密告した山田八蔵の心の動きがよく分かりました。
その八蔵の様子から謀反の兆候を見抜いた瀬名はすごいです。

あらすじには書きませんでしたが、ドラマの終盤では瀬名が築山に歩き巫女の千代を招き入れていました。
こちらもハラハラしますね。