大河ドラマ『どうする家康』第29回について

大河ドラマ『どうする家康』第29回について

第29回「伊賀を越えろ!」
今回の話も非常にハラハラしました。
なんせ、電車もバスもない戦国時代にとって、伊賀を越える道は大変長いです。
明智光秀に見つからずに、どう越えていくのかドキドキしました。

今回のあらすじ

冒頭は前回の「本能寺の変」から始まる。
本能寺で織田信長が討たれて、火が放たれる。
信長への攻撃を仕掛けたのは明智光秀だった。
光秀は織田信長と嫡男・信忠の死を聞くと、次の狙いを徳川家康に定めた。

家康の首を狙う知らせは浪人から村人まで届いた。
首を差し出した者には褒美がもらえるからだ。

この知らせを商人である茶屋四郎次郎は、急いで堺に居る家康たちに伝えた。
あらゆる者から命を狙われていると知った家康は、家臣たちと自分らの居城・岡崎に帰還することを決めた。
しかし、堺から岡崎城までの道のりは250kmもあった。
それに加えて、家康の首欲しさに次から次へと村人が襲いかかってくる!
窮地のところに家臣の忍び・服部半蔵や女大鼠が駆けつけてくれた。

剣をかまえている忍者明智の軍勢に追われずに、どう岡崎に帰るか・・・
服部半蔵は服部党の故郷である伊賀を抜けるべきだと進言した。
しかし、伊賀という土地は織田との戦によって、荒れ果てているといわれており、現在はどうなっているかわからないというのが実情だった。

それでも、家康はこの道を選ぶことにした。
徳川家臣たちのみならず、服部半蔵や女大鼠、服部党の仲間も同行する。
ただし、家臣たちは分散して逃げることを決めた。
酒井忠次(左衛門尉)と石川数正は年齢のため、家康とは違うルートを通って合流することを宣言した。
家康は「白子浜で会おう」と約束した。

家康たちは、伊賀越えの手前にある小川城で身を寄せることになった。
これも半蔵の案である。
ちょうど空腹だった一行は、小川城でのもてなしをありがたく頂戴した。

そして、翌朝家康たちは当初通りに伊賀越えを決断した。
だが、越えている最中に今度は伊賀者たちに襲われてしまう。
本多忠勝(平八郎)、榊原康政(小平太)、井伊直政が家康に先を行くよう逃がすが、伊賀者の数が多いため、家康も足を取られて捕まえられてしまった。
やがて半蔵らとともに牢屋に入れられてしまう。

薄日が差している牢屋伊賀集団の長は「百地丹波」という長老だった。
伊賀者たちは信長からひどい目に遭わされてきたので、家康の首を光秀に届けると言ってきた。
家康の首をはねようと刀を振り上げる百地に、女大鼠や服部党の面々は「自分が家康だ」と名乗るがきかない。
とうとう家康も「わしの首をやる。だから他の者は見逃せ」と観念した。

しかし、そこに現れたのが本多正信だった!
本多正信とは、かつて家康の元で「三河一向一揆」の際に軍師を務めていたが、寺側の味方に付いたため三河から追放された男である。
今は伊賀の軍師として身を置いていた。

正信は「家康を恨んでいる、首を斬ってしまえ」と百地を煽るが、その一方で「信長が生き延びているという噂がある」と百地の心を揺さぶる言い様をしてきた。
聞くところによると、信長の首がまだ出ていないというのだ。
「首が見つかっていない以上、死んだとは言い切れないし、もし生きていれば明智は信長に討たれるだろう。そこにもし、信長の弟分である家康の首が届けられたとしたら・・・、今度こそ伊賀は滅ぼされるであろう」
正信は百地に口を挟み、お得意のイカサマを吹き込んでいった。

二人の前であれこれ口出しする人形これに百地は「あんたはどう思う」と今度は家康に尋ねた。
家康は「信長は死んでいると思う。だが、首が出ていないのは確か。だから織田の家臣らは信長が生き延びたという噂を盛んに振りまいておるんじゃろう。そのせいでしばらくは皆様子を見るしかないし、即座に明智に味方をする者は現れん。明智は何としても信長の首を獲らねばならなかった。だが奴はしくじったんじゃ」と答えた。
そして、「自分が光秀を討つから、わしに恩を売れ」と提案した。

この姿に百地は「賢い物言いじゃ。その賭けに乗る」と家康の縄を切ったのであった。
正信も「身をもって伊賀者を助けようとする殿様など初めて見た。なかなかの主になられたようじゃ」と感心していた。

窮地を切り抜け、忠勝たちとも合流できた家康は無事に伊賀を抜けて、伊勢・白子浜へ到着した。
そこで忠次や数正とも集うことができた。

忠次たちは本多正信との再会に「イカサマ師」と苦々しい応対をするが、家康は「気が向いたら浜松へ来い」と正信を勧誘した。
正信はほくそ笑みながら、茂みの中に消えていくのであった。

こうして、家康たちは白子浜から船に乗り、岡崎城へ帰還したのである。

GOALを迎えてガッツポーズしている人の右手一方、明智側というと、戦に負けて敗走していた。
家康の首が送られてきたシーンもあったが、それは堺で家康一行と分かれた穴山梅雪のものだった。
そのうえ、山陽道から軍勢が押し寄せてきたゆえに、京を追われる身となっていた。
そして、最期は土民(その土地に住む民)に襲撃されて、明智光秀は終わった。
織田信長を討って、わずかおおよそ10日のことであった。

軍の勢いをそのまま光秀討伐に注いで、光秀の首を討ち取ったのは羽柴秀吉であった。
明智光秀の首が目の前に届けられた秀吉は「今まで一番良い顔をしてるな」と、あざとい顔をしていた。

光秀を討つのに秀吉に先越されてしまった。
家康は、この後どうなるのか…!?

今回の見どころ

今回の見どころは、やはり伊賀越えです。
家康の生涯の中で「3大危機」というものがあります。
1つ目が三河一向一揆、2つ目が三方ヶ原の戦い、そして3つ目が今回お伝えした「伊賀越え」でした。

通説との違い

前回のあらすじと重複しますが、通説の家康も「本能寺の変」のときはにいました。
朝は堺の茶人である今井宗久の茶会、昼は天王寺屋宗及の茶会、夜は夜で有閑の茶会に招かれていました。
そうしていた家康が信長の死を聞いたのも、堺でした。
堺でわずかな供を連れて孤立状態になった家康は、「ゆかりの知恩院で切腹する」と言い出すが、これを家臣・本多忠勝に説得されて帰国することになりました。
これは明智光秀打倒の兵を挙げるために、帰国する決断をしたのではないかといわれています。

このときに、考え出されたルートが「伊賀越え」です。
伊賀越え以外にも、上方から三河・遠江へ戻るルートはありましたが、大きな道では明智の追手に遭ったり、街道が封鎖されたりする恐れがあったのだろうと考えられています。

通説とされているルートは、和泉から山城の宇治田原を通って近江小川に入ります。そこから、伊賀を通って伊勢の海岸へ出ます。
それ以後は海路で岡崎に入りますから、無事に逃げ延びたそうです。
(他にも大和方面のルートを下った新説もあります)

黄色い背景に置かれた、いくつもの赤い矢印が書かれた紙このときに家康を助けたのが伊賀者たちであるとされています。
それは「天正伊賀の乱」で織田家に攻撃された際、家康が彼らを保護してくれたためであるといわれています。
他にも、あらすじでは疑われていた多羅尾光俊も甲賀の人であったため、家康の伊賀越えには大いに寄与したとも伝えられています。

服部半蔵とはどのような男だったのか

まず、半蔵とは、ドラマでは1人を指していますが、じつは戦国時代から江戸時代にかけて、代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主のことなのです。

ドラマで登場する「服部半蔵」は、正式には「服部正成(まさしげ)」という人物です。
じつは、忍者だったのは初代半蔵だけで、2代目(正成)以降は忍者ではなかったとされています。

手で「ダメ」と示している忍者服部正成は1542年に三河国伊賀で生まれます。
父親は初代半蔵こと保長氏です。
保長も松平氏に仕えていたこともあり、正成もその流れを汲む「徳川家康」に仕えました。

正成は1557年(16歳)のときに初陣を迎えました。
槍が得意だったそうです。
その後も、家康にしたがって、「姉川の戦い」や「三方ヶ原の戦い」などで戦功を挙げてきました。
「三方ヶ原の戦い」では、徳川家康から伊賀衆150人を任せられたほど、武功を挙げました。

通説の伊賀越えでも服部正成が活躍していました。
正成は伊賀の地侍や土豪(土地の小豪族)と交渉して、家康を警護してもらうことをお願いしました。
この活躍によって、家康一行は伊勢に抜けることができ、船で三河に辿り着くことができたのでした。
このとき、家康を警護してくれた伊賀者や甲賀者は徳川家康の部下になりました。
正成もこの功績により、自分を組頭として200人の伊賀衆を同心として召し抱えることとなりました。

正成は江戸・麹町に屋敷を与えられ、江戸城の裏門の警備を命じられました。
これが由来となり、現在でも「半蔵門」という地名が残っています。
正成は関ケ原合戦の4年前である1596年に、その屋敷で病死しました。

松平信康と服部正成
家康の嫡男である・松平信康が自害したときには、通説でも正成が介錯人として関わりました。
しかし、正成は涙で刀を振り下ろすことができなかったといわれています。
正成は信康の菩提を弔うために、西念寺(さいねんじ)を開山します。
この寺は、正成の死後には服部家の菩提寺にもなっています。

今回の配役

服部半蔵(正成)を演じていたのは山田孝之さんでした。

略歴

1983年鹿児島県生まれ
スターダストプロモーション所属

1998年中学3年の2学期終業後に家族で鹿児島から上京。

1999年に10月から放送されたドラマ『サイコメトラーEIJI2』で俳優デビュー

2002年には、シングル『真夏の天使 〜All I want for this Summer is you〜』でCDデビューも果たした。この曲はドラマ『大好き!五つ子4』の主題歌になり、自身もこのドラマにゲスト出演した。

2005年には『電車男』にて、映画での単独主演・初を務める。

2007年の秋に公開された映画『クローズZERO』からワイルドな役を演じるようになり、長髪と無精ひげの姿を披露するようになった。なお、『クローズZERO』では第50回ブルーリボン賞助演男優賞に20代でただ一人ノミネートされた。

2014年にはミュージカル『フル・モンティ』で主演、初舞台を踏む。

2016年には、歌手のTEE「恋のはじまり」でMV初監督を務めた。

今までの主な代表作(ドラマ)

  • サイコメトラーEIJI2
  • 葵 徳川三代(大河ドラマ・子役)
  • ちゅらさんシリーズ(NHK連続テレビ小説)
  • 示談交渉人甚内たま子“裏”ファイルシリーズ
  • ランチの女王
  • WATER BOYS(主演)
  • FIRE BOYS~め組の大吾~(主演)
  • 世界の中心で、愛をさけぶ(主演)
  • 闇金ウシジマくんシリーズ(主演)
  • 勇者ヨシヒコシリーズ(主演)

など

まとめ

筋がついた雲が出ているくらいきれいな空の峠今回は徳川家康の「伊賀越え」が中心の話でした。
ドラマでの明智光秀は家康のことを首を所望するほど憎んでいましたが、通説ではそれほど敵対関係ではなかったかもしれません。
「本能寺の変」には、いくつもの黒幕説があるからです。(なかには朝廷・公家説もあり)

同様に家康が岡崎城へ帰るルートも、現在ではいくつか立てられています。
当時の方たちは、今の私たちよりも健脚だったにせよ、伊賀越えが成功できたのは、いろいろな人を味方につけて助けてもらったからです。
今回は家康と服部党とのやりとりが素晴らしかったです。

家康の首を狙っていた光秀が、羽柴秀吉によって討ち取られました。
次からは秀吉との絡みが濃くなっていきますね。