大河ドラマ『どうする家康』第36回について

大河ドラマ『どうする家康』第36回について

第36回「於愛日記」

秀吉に臣従したことで、家康と秀吉の関係は一時的に安定しました。
駿府城下の民にも慕われ、朝廷から位も授かり、もはや家康を悩ませるのは北条と真田のみとなりました。
しかしそれがなかなかの難題です。
どのように決着がつくのでしょうか。

今回のあらすじ

家康の側室・於愛が自分のしたためた日記を見返している。
元亀3年(1572)10月、まだ彼女が家康に嫁ぐ前のことである。
前夫を失い、悲しみのあまり自分も自害しようとしていた。
その時のことを於愛は「お慕いする人が逝ってしまった。私の心もまた、死んだ。」と記している。
夫の遺体から短刀を抜き取り、自分の首に当てたところで彼との子どもの存在が目に留まり、思いとどまったのであった。

風車

その後、於愛は家康の城の下女として働くことにする。
家康の側室・お葉に、まだ新しい輿入れ先があろう、と言われた於愛は、「もうどなたかの妻になる気は。」とうつむいて答えた。
お葉は於愛の頬を両手で引っ張り上げ、「嘘でも笑っていなされ。皆に好かれぬと辛いぞ。」と言った。
それから於愛は、お葉のやったように頬を手で引き上げて笑顔を作るようになった。

天正4年5月20日の日記に移る。
於愛が家康の側室になることが決まった日である。
今は亡き家康の正室・瀬名にお目通りし、「よい笑顔じゃ。」と言われた於愛は、作り笑顔であることに罪悪感を持った。
日記には「殿のことは心からうやまい申し上げているけれど、お慕いするお方では、ない。」と書かれていた。

そこまで読んで、於愛は苦し気に胸を押さえてその場にうずくまってしまう。

駿府城では、鳥居元忠(彦右衛門)が家康に「どうしても見つからない。」と話していた。
そこへ於愛が通りかかるが、家康は話題を変えた。
平八郎の娘の稲(いな)が、真田家へ嫁ぐ件について於愛に尋ねたのだ。
真田の家風が合わないという理由で二人は渋っている、と於愛は答えた。
彦右衛門(ひこえもん)が、平八郎を説き伏せてみせると言いその場を去った。
家康は、正室となった旭を連れて秀吉のもとを訪れる予定であり、その間の留守を於愛に頼んだ。
笑顔で応じる於愛に、「いつもいい笑顔じゃな。」と彼女の肩を叩く家康であった。

ほほ笑む着物の女性 全身

京・聚楽第(※じゅらくてい)にて、秀吉は家康に北条のことを訪ねた。
※秀吉が政務を執り行った場であり邸宅でもある。

北条はいまだ上洛を拒んでいた。
秀吉は、もう待たずに関東を攻めよ、と家康に命じる。
しかし、北条には家康の娘・おふうが嫁いでいる。
家康は、必ずおふうが北条氏政・氏直父子を説き伏せてくれる、と秀吉に説明する。

さらに、真田には本多忠勝の娘を家康の養女としたうえで、真田家に輿入れさせる用意を進めていることもあわせて伝える。
そうしたうえで沼田とは違う領地を真田に与え、沼田を北条に返すことでことが丸くおさまり、北条も真田も納得するだろうと秀吉に説明した。

駿府城では、彦右衛門と於愛が平八郎・稲父娘と対面していた。
「真田は好きではございませぬ。」とはっきり言う稲。
平八郎はため息をつき、「こんなやつを輿入れさせれば、真田との仲もかえって悪くなってしまう。」と言い、その場で親子喧嘩を始めてしまう始末であった。
於愛は、好き嫌いは脇に置くよう稲をたしなめる。
真田への輿入れは、戦を止める大事な役目だと説明すると、稲も平八郎も顔を引き締める。

聚楽第では、家康が旭にここに留まるよう告げていた。
彼女の母・大政所のそばについてあげては、と言うのである。
人質としての役目を心配する旭に、「わが正室として、京での勤めを支えてくれればよい。」と言う家康に、感謝し喜ぶ旭であった。
それを見ていた秀吉の正室・寧々は「よい旦那様でございますな。」と旭にほほ笑んだ。
一方秀吉は、新たな側室に執心し、奥に入り浸っていると寧々は言う。
「あの男は病じゃ。何でも欲しがる病。」と続けた。

駿府城では、於愛が目の不自由な人々に食べ物と衣類を分け与えていた。
自分も目が悪いから、と明るくふるまう彼女に、民たちは畏敬の念を抱いた。
そんな於愛にまたも胸の痛みが襲う。

そこへ本多正信が助けを求めにやってくる。
平八郎が、真田に娘はやらんと息巻いているそうだ。

正信によると、家康はかねてより大久保忠世と彦右衛門にある女を探させていた。
武田のもとで忍びをしていて、瀬名ともつながりのあった千代である。
家康はその行方を気にしていた。
家臣たちは家臣たちで、千代は今頃真田に使われているのかも、と噂していたと正信は言う。

その千代が今朝見つかったのだという。
見つけたのは徳川家臣・渡辺守綱(もりつな)である。
彼が彦右衛門の屋敷を訪れた際、千代とたわむれる彦右衛門を見たのだそうだ。
渡辺守綱は面白がって皆に言いふらし、それが平八郎の耳に入って怒り狂ったという顛末だそうだ。

たわむれる男女

平八郎が怒る理由はこうである。
彦右衛門が真田の忍びの罠に引っかかり、真田の思惑通り執拗に稲の輿入れを迫っている、ということだ。

平八郎は供を引き連れ、彦右衛門の屋敷に押し入った。
怒り狂いながら女を引き渡すよう要求する平八郎に、彦右衛門と屋敷の者も応戦する。
「千代は誰にも渡さん!」と彦右衛門。
大勢の男たちが取っ組み合いとなっているところを、千代は離れた場所から静かに見ていた。

家康不在のため、於愛が裁定の場を取り仕切ることとなった。
彦右衛門は半年前にすでに千代を見つけていたという。
なぜ隠していたかというと、千代は殿に恨まれているに違いないと思ったからだそうだ。
武田の忍びとして、徳川を散々苦しめてきたからだ。
彦右衛門は、自分を慕っていると言ってくれた千代の身を案じていると言う。

そんな彦右衛門の説明に、見事に真田の術中にはまっていると憤る平八郎。
千代と真田は関係ないと主張する彦右衛門。
於愛は千代に、彦右衛門を慕う気持ちは誠のものか、と問う。
千代は「わかりませぬ。きっと偽りでございましょう。」と、隣に彦右衛門がいるにも関わらずきっぱりと言う。
そして彦右衛門に向き直り、もう自分のことは忘れるよう告げた。
もうじき家康が戻るので、裁定を待つよう告げ、於愛は一度その場を離れる。

於愛はまたも日記を読み返した。
瀬名と信康が自害し、悲しみに暮れる家康を支えねばならないと決心した日。
日記には「笑っていよう。たとえ偽りの笑顔でも、たえずおおらかでいよう。この方がいつかまた、あのお優しい笑顔を取り戻される日まで。」と記されていた。
そしてまた胸の痛みを覚えた愛は、深刻な表情を浮かべた。

家康が戻り、彦右衛門と千代の裁定の場に現れる。
彦右衛門の行為を言語道断と断罪すると、彦右衛門は「自分は腹を切る覚悟」と頭を下げた。
ただ千代のことは許してやってほしいと懇願する。

家康は、千代を恨んでいないと言った。
かつて自分たちが目指した戦なき世を、千代もまた目指していたと認識していたので、ただその身を案じていただけだと。

家康は、千代に彦右衛門の妻となるよう命じた。
千代は、今さら人並みの暮らしなど許されるはずがないとうろたえる。
自分の罪深い行いを自覚しての言葉である。
家康は千代の目の前に進み、「幸せになることは、生き残った者の務めである。」と語った。
「彦を支えよ。」と再び命じる家康に、彦も千代も感謝を述べ頭を下げる。

家康は、ただ於愛の言うことに従ったまでだと言い彼女を振り返った。
生きるのは茨の道を行くようなものであり、その中で慕い慕われる相手があることは幸せだ、と於愛は語った。

平八郎は不服を述べた。
千代が真田の忍びである疑いが晴れていないと言う。
寝首をかかれてからでは遅い、と言う平八郎に、末席に控えていた稲が口をはさむ。

稲は、自分が真田に輿入れし、真田を操ればいいと言う。
家康と於愛の前に進み、稲は「夫婦をなすもまたおなごの戦を心得ました。」と言った。
さらに「真田家、わが戦場として申し分なし。」と勇ましく言い、輿入れを謹んで受けると頭を下げた。

何かを企む着物の女性

大久保忠世と本多正信が平八郎に向き直り、かわいがっている娘を手放すときだと諭した。
稲は平八郎のもとに両手をつき「本多忠勝の娘として、その名に恥じぬよう、立派に務めを果たします。」と言った。
平八郎は男泣きに泣いた。

ことが一件落着し、家康と於愛は部屋に戻った。
家康は於愛のために「胸の痛みに効く薬」を作り、差し出した。
いつも笑顔でおおらかであった於愛に救われてきた、と家康は言った。
於愛は、自分の方こそ家康に救われてきたと告げる。
手で頬を釣り上げて笑顔を作ることがなくなったと。

於愛は、瀬名と信康の他愛ない思い出が聞きたいと家康に頼む。
家康は、信康と五徳の婚礼が愉快だったと話しながら、笑いすぎて話せなくなってしまう。
そんな二人の楽し気な様子を背景に、於愛がこの後間もなく亡くなったとナレーションが入る。
彼女の葬儀には、大勢の民が押し寄せたとも。

笑い合う男女

稲が真田へ輿入れしたことで北条はようやく上洛を決意する。
しかし出向くのは北条氏政の弟であるという。
秀吉は、当主が来ないことにけちをつけた。
そして、徳川が苦心して真田から北条へ返した沼田の地を、真田に一部分けてやれと言う。
北条は納得しないだろうと食い下がる家康に、ならば滅ぼすと切り捨てる秀吉。
そして弓の稽古に戻っていった。

秀長が家康に、「兄はますます己の想いのままに生きるようになりました。」と小声で言った。
もう訛りを使わず、周りには厳しく意見を言える者がいないという。
寧々と家康しか秀吉に物を言える人がいないと。
そして、自分自身は病でもう長くないと打ち明けた。

秀吉の弓の的に、突如として銃が打たれた。
辺りは一瞬緊迫感に包まれたが、すぐに女性の笑い声が響き渡る。
「どうしようもないおなごだわ~」と秀吉は笑い、家康に、新たな側室・茶々だと告げる。
茶々があまりに母のお市にそっくりで驚く家康。
茶々は真剣な顔で家康に銃口を向ける。
両者しばしにらみ合うが、茶々が「ダーン!」と言って打つマネをして無邪気に笑う。
秀吉にも同じことをしてはしゃぐ茶々であった。

今回の見どころ

これまで、明るく献身的でよき妻という印象だった於愛の、秘めた想いが明らかになりました。
始めは、家康に性愛的には惹かれていなかったということは驚きでした。
そんな於愛だからこそ、千代や稲に説得力のある言葉をかけることができたのでしょうね。
於愛によって二つの婚姻が成立したことが感動的でした。
今回は、千代と稲の婚姻の経緯について簡単に調べてみました。

通説との違い

まず、千代のモデルになったとされる女性に望月千代(もちづきちよ)がいます。
彼女は武田氏家臣・望月盛時(もりとき)の妻とされています。
この望月千代という女性が、歩き巫女を統括して諸国の情報を探り、武田信玄に伝えたという伝説が残っています。
しかし、武士の妻が歩き巫女や忍びという、身分の低い者と関係していたという説には懐疑的な意見が多いです。
望月千代という名の人物はいたのかもしれませんが、ドラマの千代のような諜報活動をしていたということは創作の可能性が高いのです。

歩き巫女

歩き巫女やくノ一の存在は、近年になって小説などのフィクション作品で描かれるようになり、人気が出ました。
おそらく数いる戦国大名の中でも、武田信玄が忍びを重用していたことと、忍びの中には女性もいた可能性もあることが結びついて、創作で描かれるようになったのだろうとされています。

一方、徳川家臣である鳥居元忠は、武田四天王の一人、馬場信春(のぶはる)の娘を側室に持っています。
妻が武田氏とつながりの深い人物だったことは史実です。

次に、本多忠勝の娘・稲と真田信之の婚姻についてご紹介します。

家康と真田昌幸は、沼田領の引き渡しや第一次上田合戦などで対立していました。
両氏の間を取りもったのは秀吉です。
秀吉は、第一次上田合戦のあとさらに真田攻めを行った徳川に対して和睦を促しました。
真田に対しては、徳川家康の与力大名とすることを命じました。

さらに両家の関係を強めるため、稲と真田信之との婚姻が成立しました。
これは秀吉の意向によるものだったとも、本多忠勝が家康に提案したものだったとも伝えられています。
忠勝は、上田合戦での真田の戦いぶりに感銘を受けたと言われているからです。
真田を警戒する家康の不安を軽減する目的もあったようです。

真田家家紋

稲の婚姻に関しては、ドラマと通説は少し違うのですね。
ドラマの忠勝は、娘を真田に嫁がせることが心配で最後まで真田を疑っていたのが何だか可愛らしかったです。
勇猛なことで知られる本多忠勝が、娘かわいさに大暴れしたり泣いたりしていた姿がたまりませんでした。
娘は父譲りの勝気で正義感あふれる性格で、潔く嫁ぐことを決めたのが非常に清々しかったです。

於愛とはどのようなおなごだったのか

家康に寵愛された女性であるにも関わらず、於愛の方は生まれた年も亡くなった年も、家系も不明な点が多くあります。
通説としては、江戸後期に成立した『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』・『以貴小伝(いきしょうでん)』に記された内容が知られています。
どちらも一定の信頼性のある資料ですが、編纂は於愛の生きた時代からだいぶあとです。
そのため矛盾や疑問点も多いですが、通説としてご紹介します。

於愛は1552~1562年頃、遠江国(現在の静岡県西部)に生まれたとされます。
父は戸塚忠春(ただはる)、母は三河西郷氏とされています。
三河西郷氏は、現在の愛知県豊橋市にあった月ヶ谷城(わちがやじょう)を本拠地とする国衆でした。
当時その地を治めていた今川義元が敗死すると、松平氏(のちの徳川氏)に属することになったのです。

於愛の方は、母方祖父の嫡孫・西郷義勝(さいごうよしかつ)と結婚し、1男1女をもうけました。
元亀2年(1571)、戦で夫が戦死しましたが、息子はまだ幼く家督を継げませんでした。

夫の死後、於愛は子どもたちとともに母の元に身を寄せます。
天正6年(1578)家康がこの屋敷を訪れた際、彼女の運命が変わります。
家康は美人の於愛の方を見初め、浜松に連れ帰ったそうです。
彼女は家康の側室となって以降は、西郷局(さいごうのつぼね)と呼ばれました。

戦国女性

西郷局は天正7年4月に秀忠を、同8年9月に忠吉を出産しています。
彼女の人柄は温和誠実で、家康からの信頼も厚かったそうです。
周囲の家臣や侍女達にも好かれていたとされています。
また、自身が強度の近眼であったため、とりわけ盲目の女性を気遣い助けていたといいます。
衣服や食べ物を施し、生活を守っていたそうです。

天正17年5月19日、駿府で死去しました。
享年28歳ですが、一説に30歳とも、38歳ともされています。
死因ははっきりしていません。
若くして亡くなったのにも関わらず、死因がわからないのは何とも悔しいですね。

西郷局が死去すると、大勢の盲目の女性達が連日寺門に押し寄せ、彼女のために後生を祈ったそうです。

今回の配役

於愛を演じたのは広瀬アリスさんでした。

略歴

1994年静岡県生まれ。
女子中高生向け雑誌が主催する「ミスセブンティーン2009」に選ばれ、「Seventeen」誌の専属モデルを務める。
2008年にNHKドラマ「ファイブ」で女優デビュー
2010年「明日の光をつかめ」で、フジ系昼ドラに史上最年少で主演
2011年、映画「Lost Harmony」で主演を務める。

以降数々のドラマや映画に出演する。
「広瀬アリス」は本名ではなく芸名。

今までの主な代表作(ドラマ)

・玉川区役所 OF THE DEAD(主演)
・妄想彼女(主演)
・わろてんか(連続テレビ小説)
・家康、江戸を建てる (NHK)
・恋なんて、本気でやってどうするの?(主演)
・マイ・セカンド・アオハル(主演)

まとめ

今回は「人が人を慕う」ということがテーマとして描かれていたように思います。
於愛が亡き夫を慕っていたように、家康に嫁いだあとは次第に家康を慕うようになっていきました。
家康が最愛の妻・瀬名と信康を失って痛々しいまでに沈んでいるときに、自分が支えなくては、と思ったことがきっかけだったのかもしれません。
家康の人生の中でも数々の苦難が襲っていたときに、心の支えとなったのが於愛だったのかもしれません。

家康像

そんな彼女の影響からか、家康もまた優しさが前面に現れていました。
旭への「正室」発言が個人的にはグッときました。
あんなに瀬名に固執していたのに、ひとつ乗り越え、目の前にいる人を大切にする態度に感動!です。

そして二人の笑い合うシーンで於愛の死が伝えられたのも、明るい於愛の人柄をそのまま表すようで素晴らしかったです。

そして今回は千代と渡辺守綱の再登場が嬉しかったです。
特に千代はミステリアスで、個人的に行く末が気になっていました。
渡辺守綱はあいかわらずのお調子者ぶりでおもしろかったです。
今まで徳川四天王と石川数正の影に隠れ、今一つ目立っていなかった彦右衛門の登場シーンが多かったのもよかったです。
彼の男気と家康との絆、千代を想う気持ちに心があたたまりました。

そして最後に茶々が登場し、今後どう暴れてくれるのか非常に楽しみです。