埼玉県白岡市について

埼玉県白岡市について

白岡市のなかでも、こちらでは梨の歴史とその種類について解説していきます。

白岡市について

埼玉県にある白岡市。
ここでは梨が有名なのをご存じでしょううか?
筆者も甘い梨が大好物です。

これから筆者も住んでいた白岡市の梨と、白岡市の歴史をお伝えしていきますね。

関東平野の中にあるとされる白岡市ですが、東西に長い地域とされています。

越生町から見た晴れの関東平野昭和29年に3つの村が合併し、白岡駅を中心とした発展をもとに、白岡町としたのが始まりです。
その時の人口としては15,679人でした。

誕生から56年経ち、人口は約4倍の50,272人と成長しています。
世帯や人口が増えたことを理由に、白岡町は「白岡市」とすることを平成24年の10月1日に市制施行し、白岡市が生まれたのです。

この時、白岡町を始めとした3つの市町村を合併し、彩乃市にしようとしたのですが、多くの反対(筆者の記憶が正しければご高齢の方の猛反対)があったため、取り消されたという裏話も存在しています。

この時筆者も反対に1票入れたかったのですが、アンケートに回答する年齢に達していなかっため、惜しくも参加できなかったという小話も実はあります。(当時中学生か高校生。とても悔しがっていた記憶…!)

さて、白岡市について説明が終わったところで、梨で有名とされる白岡市の梨について探っていきましょう。

白岡市の梨の歴史

さて、白岡の梨の歴史に入る前に少しだけ、梨の歴史と埼玉県に梨が伝わった歴史に迫ってみましょうか。

梨そのものの歴史

梨はそもそも、中国で作られていたとされています。日本に伝わったのは弥生時代とされております。
弥生時代に存在していた遺跡から、梨の種が見つかったとのことです。
お米と同じように梨は中国大陸から持ってきたとされ、日本で最も古い果物のなかの1つとされています。

弥生時代という、卑弥呼女王が国を治める時代とは、驚きました。
当時から中国大陸との貿易は盛んだったようですね。

邪馬台国の女王・卑弥呼の像奈良時代に存在している『日本書紀』には、「主食を補う食べ物」と書かれており、その栽培が推奨されていたといわれています。

そして、平安時代から鎌倉時代にかけての文学書にも、梨についての多くの文書が見つけられています。

江戸時代に入るころには、100をも超える種類が全国ともいえるほどに作られており、「水気が多いくだもの」とされ、人々に愛されていたとのことです。
埼玉県に伝わったのは、その品種が100種を超えたあたりの江戸時代の頃です。
農業生産をするにあたり、その意思決定をしたのが明治10年の頃と伝えられています。

白岡の梨の歴史

では、いよいよ白岡市で梨が栽培され始めた歴史をお伝えしていきます。

白岡市で梨が栽培され始めたのは明治36年です。

荒井新田にある加藤喜助氏の家で3000平方メートルという大規模な土地で、230本もの大量の梨が植えられたのが始まりでした。
そして、明治43年に上野田の小島好太郎さんの家に梨が伝わり、それがさらにその知人や縁故先に伝わって広まりました。

その頃の梨の栽培技術に関して、教えを乞う人々は授業料を支払ってでも知りたかったそうです。
(その気持ち…分かります。知らないものを知るにはお金を払ってでも知りたい!ですよね。)

きれいに植わっている梨の木さて、当時はどうやって梨を栽培し、収穫をしていたのでしょうか。

その頃の出荷は個人でやっていたそうですが、それも限界があり、大正9年には出荷組合ができました。

当時はトラックなんてあまり流通してないですから、もちろん梨をかごに詰めては市場まで梨を共同でリヤカーで運送していたそうです。

今の時代は本当に便利になりましたね。

白岡の梨に恩人アリ

そして、白岡の梨に恩人がいるのをご存じでしょうか?

白岡市を始め、その周辺に梨の栽培を広めたとされたのは五十嵐八五郎さんという方です。
五十嵐さんは旧菖蒲町に生まれ、旧川本町の五十嵐家の養子になったそうです。

梨の栽培に興味を持ち、群馬県や千葉県で梨の栽培技術を学び、明治17年に帰ってきました。

出身地の旧菖蒲町や白岡市での梨の栽培の技術が栄えるよう努めては、現在の埼玉県の梨の基礎を作りました。

何かができるには誰か1人が技術を伝えないと始まりません。
今の白岡市のおいしい梨があるのは五十嵐さんのおかげなんですね。

本当に感謝です。

ザルカゴに入っている2個の梨

なぜ白岡に梨が広まった?

ここで、「なぜ梨が増えたのだろう?」と思う方もいるのではないでしょうか。
確かに、ほかの果物や野菜でもよかったはず。

ここには明治43に白岡市であった大水害が影響しています。

水害が発生してしまうと稲作や畑の食べ物は大被害を被ります。
しかし、梨の栽培は棚掛けをしていることにより、その水害の影響がほぼありませんでした。
これが契機とされています。

この他にも様々な理由が重なり、白岡には梨が広まったのです。

梨の種類

ブツブツが目立つ1個の梨さて、いよいよ白岡市の梨についてお話していきます。

白岡市の梨はブランド物とされており、「白岡美人」と呼ばれています。
種類は7つあります。

1.幸水(こうすい)

幸水は柔らかくとても甘い梨です。とてもみずみずしく、味と品質の良さから一番の人気の品種とされています。

2.豊水(ほうすい)

豊水は名前が物語るようにとても果汁をたっぷりと含んでいる梨です。甘さも優しい酸味もあり、味は絶妙なバランスとされています。

3.彩玉(さいぎょく)

彩玉は豊水と新高から生まれた、埼玉県のオリジナル希少品種です。
果汁が豊水のようにたっぷりとしています。幸水以上に甘いとされ、酸味は少なめです。やや大きめのサイズです。

4.あきづき

あきづきはまるで秋の夜に浮かぶ月のように丸い形をして、美しい肌を持っていることからこの名前となりました。
「新高と豊水」×「幸水」の交配により、あきづきは生まれました。
この梨は酸味が少なくためか甘みをより一層と感じ、実は柔らかいと人気の品種とされています。

5.新高(にいたか)

新高は香りがよく、さっぱりとした甘さが特徴的です。酸味が少なめで果汁をたっぷりと含んでおり大玉の品種となっています。

6.新興(しんこう)

新興はシャキシャキと少し固めで、果汁がたっぷり。程よい甘みと酸味が調和されています。

7.王秋(おうしゅう)

王秋は楕円の形をしていてその果実はやわらかめ。甘さに酸味が加わることによって、さっぱりとした味をしています。

筆者は東京生まれ、白岡育ちなので幼少期より梨を食べています。
しかし!種類までは分かりませんでした。
これからは食べ比べをしてみたいですね。

白岡市の梨のこれから

黄色い矢印の道筋ができあがっているビジネスマンここまで白岡市の梨について述べてきました。
では、ここからは白岡市の梨の未来についてお話していきます。

明治36年に白岡市に伝わった梨ですが、現在では生産者の高齢化、そして跡継ぎが不足しています。
このことによって、生産者や栽培面積が年々減少を続け、令和元年には生産者は67戸、栽培面積はおよそ42haまで大幅に減ってしまいました。

これを受け白岡市では梨を守るため、「白岡美人プロジェクト」を立ち上げました。
生産者や関係機関の代表の方、そして公募によって集った市民の方々15名による「白岡美人ブランド化戦略策定委員会」を設置し、彼らの貴重な意見が交わされました。

意見交換をする男女の模型白岡市ではこの意見をもとに、「白岡美人プロジェクト促進計画庁内検討委員会」を作り、さらなる白岡美人のPRで地域を活性化することにしたのです。

目的としては白岡美人の名前を活かしてブランド化、白岡市をPRすることにより、地域の活性化をする意見が出されました。

白岡美人を後世に残すため、また改めてその存在を身近に感じてもらうためにも、白岡美人を特産品としていくことが求められているのです。

確かに生産者の高齢化や跡継ぎ不足により、課題は多く残されます。
しかし、これらの課題を解決し、全国に白岡美人を知ってもらって、特産品にするためにも確かな取り組みをすることが必要とされているのです。

白岡美人にも強みがあります。

強みとは
この梨は東京都やさいたま市といった多くの人口が住んでいる梨の大量消費地に近いことから、新鮮でおいしい状態の白岡美人をこの消費者たちに届けることができるのです。
また、東北自動車道や首都圏中央連絡自動車道といったインターチェンジに近く、交通アクセスにも恵まれているので、梨を求める人が気軽に立ち寄れることも魅力的です。

他にも白岡市は12品種の梨が栽培されており、人気の高い夏に収穫できる「幸水」、冬に食べることができるとされる「新雪」といった季節に応じて沢山の味を楽しむことができるのです。

梨の生産者たちも高い技術力を持っており、その技術は明治36年に梨が白岡市に伝わってからも失われることなく現代に受け継がれてきています。
若い世代にも生産者が集い、新たな取り組みも行われています。

白岡美人にはリピーターの人々もおり、現在ではふるさと納税の返礼として梨を求める方が多いのです。

〇〇市のふるさと納税返礼品が入っている段ボールこの白岡美人を失わないためにも、白岡市は「白岡美人プロジェクト促進計画」を立てました。
栽培技術を後世に受け継ぎ、市場を豊かにし、知名度が高まっているように10年後の目指すべき目標を掲げたのです。
今現在では身近にある白岡美人ですが、それもやはり近年様々なところで問題となっている後継者不足に悩まれています。

もし、後継者が生まれず白岡美人が失われてしまったら…と考えると、筆者は不安でたまりません。

だからそうならないためにも、白岡市は対策を練り、白岡美人を失わないよう努めています。本当にありがたい話です。

筆者はもう白岡市には住んでいないのですが、故郷の味というのでしょうか、白岡美人の味は恋しいです。

まとめ

さて、様々なことを述べてきましたが、そろそろまとめに入りましょうか。

身近な存在の白岡美人の歴史は明治36年が始まりです。
梨自体も弥生時代からある果物なので、梨との付き合いは本当に長いですね。

「甘~い!」
と何気なく食べている白岡美人ですが、種類も豊富なこと!

「あ、これはあきづきだ!」
と食べただけではおそらく筆者には分からないでしょう。

生産者さんの顔を見て、「あきづきだよ!甘いでしょ!」と言われて初めて気が付くと思います。

最近ではスーパーなどで生産者さんの写真が貼っており、買う物に親しみが持てやすくなっています。
でも、やはり対面だとちょっと嬉しいかもしれませんね。

日々仕事に追われている筆者ですが、また里帰り…というより故郷の味を食べに帰りたいものです。

バスケットに入っているものと剥いて切ってある梨たち

 

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