現在は復旧中の熊本城は別名を「銀杏城」といいます。その歴史・魅力について、取り上げさせて頂きます。
Contents
城主
熊本城の初代城主は加藤清正です。
ですが、彼が城主になる前まで長い歴史があります。
熊本城の前身
まず、熊本城の前身の千葉城から話を始めます。
熊本城がある丘は茶臼山と呼ばれていました。
戦国時代の初期に「出田秀信」という人物が、茶臼山に熊本城の前身である「千葉城(ちばじょう)」を築きました。
そして、1521年から1531年に、出田氏に代わり、菊池氏家臣の鹿子木親員(かのこぎ ちかがず)が城主となりました。
鹿子木氏は千葉城を改築して、隈本城を築城します。
その後、鹿子木氏にかわって菊池義武(きくち よしたけ)が入城します。
しかし、菊池氏は大友義鎮(おおとも よししげ)=後の大友宗麟(おおとも そうりん)に追われてしまったので、城主は大友氏の協力者の城親冬(じょう ちかふゆ)となります。
やがて、1587年に、豊臣秀吉が九州征伐を実施します。(九州征伐は九州平定とも呼ばれる)
それによって、薩摩の島津氏の勢力下だった城親冬の孫の城久基が、隈本城を明け渡して筑後国に入ります。
代わって佐々成政(さっさ なりまさ)が城主になりますが、その翌年に秀吉の命令を無視したことが原因で一揆が発生し、成政は切腹します。
そして、1588年に加藤清正が隈本城主として入城します。
清正は1591年に隈本城の改築工事を実施します。
茶臼山のある丘陵地帯に大規模な城郭を築城しました。1600年に天守が完成したといわれています。
やがて関ヶ原の戦いを挟んで、1606年に城が完成します。
その翌年に、隈本城から現在の熊本城に改名されます。
熊本城の城主たち

1607年:加藤清正
加藤清正は豊臣秀吉の家臣として活躍します。秀吉没後は徳川家康に近づきます。
関ヶ原の戦いでは、徳川家康の東軍に荷担して活躍します。
やがて、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて、熊本藩主となりました。
熊本城の完成と共に、隈本という地名を熊本に改めます。
その後は、加藤清正の子の忠広が改易(武士の士籍、つまり武士身分を剥奪されること)します。
そして、細川忠利が熊本城の城主となります。
しかし、明治維新後は国の所有になります。
それまでの熊本城は、城主たちによって様々に変わってきました。
城主の政策により、城下町の発展や城の維持・修復が行われてきました。
熊本城は、城主たちによって、その都度かたちを変えてきたお城なのです。
歴史
熊本城は、別名を銀杏城といいます。それは、城内に植えられていた大きな銀杏の木が由来です。

前項目で述べたように、熊本城の地には、肥後守護菊池氏の一族の出田秀信が茶臼山に千葉城を築いたのが始まりでした。
千葉城が築かれたのが1469年~1487年の間です。
慶長5年(1599年)に茶臼岳で熊本城の築城が始まり、「関ヶ原の戦い」を挟んで慶長12年(1607年)に熊本城が完成しています。
熊本城と西南戦争
やがて、1877年に西南戦争が起こり、西郷隆盛の西郷軍によって熊本城の建造物が多く消失します。
しかし、加藤清正が築いた武者返しという曲線の石垣が功を奏します。
西郷隆盛らは、一歩も熊本城に入ることが出来なかったといわれています。
西南戦争は、日本国内の最後の内戦で、明治10年に起こりました。
官軍(政府軍)死者は6,403人、西郷軍死者は6,765人に及んでいます。
明治維新の活躍者であった西郷隆盛は、この戦争の首謀者として逆賊とされます。
その後彼は明治政府に敗れ、自害します。
最期の言葉は、「もうここいらでよか」であったと伝えられています。
昭和の熊本城
1945年(昭和20年):
7月1日に、熊本大空襲などの空襲に度々襲われ、市街地の20%を焼失しますが、熊本城は焼失を免れます。
戦災を受けた熊本大学医学部基礎教室は、一時的に二の丸の兵舎を利用しました。
1946年(昭和21年):
日本に進駐したアメリカ軍が城内に施設を作り、車両通行の妨げだとして竹之丸門が破却されました。
同年3月には、古京町無番地輜重隊跡に、化学及血清療法研究所京町研究所が設置されました。
研究所は、1973年に閉鎖されています。
1962年(昭和37年):
熊本大学医学部基礎教室が移転します。
建物をそのまま利用して熊本県立第二高等学校を開校しましたが、1968年(昭和43年)にこの高等学校も移転します。
1967年(昭和42年):跡地を整備して二の丸公園として開園します。
1976年(昭和51年):二の丸跡の一角に、熊本県立美術館が設置されています。
1978年(昭和53年):三の丸には、熊本市立熊本博物館が設置されています。
2016年の熊本地震
熊本地震は、2016年に熊本県と大分県で相次いで発生した地震です。
震度7の地震が2回、震度6強が2回、震度6弱が3回発生しています。
日本国内の震度7の観測事例として、九州地方では初です。日本国内でも4例目および5例目です。
その熊本地震以降のことを少し記します。
- 地震後の熊本城の様子・・・手前の平左衛門丸石垣や大小天守の屋根瓦の一部が崩落し、鯱(しゃちほこ)も失われています。
- 本震から1年後の熊本城の様子・・・大天守に修復中の足場となる鉄骨が貫かれています。
- 今後復元が期待される数寄屋丸・・・数寄屋丸の二階御広間は、かつて能や茶会が開かれた広間です。南側には狭間や石落としを備えていて、防御施設としても機能しています。
熊本地震以降
2016年(平成28年)4月14日21時26分に発生している最大震度7の熊本地震の前震と、本震(4月16日1時25分発生)などの相次ぐ揺れで、被災しています。
石垣が一部崩落していて、建物にたわみが出る被害がありました。

4月14日発生の地震では、石垣の一部が6箇所崩落しています。その他に、石垣石の落下が複数個所で確認されています。
重要文化財の長塀も、長さ100メートルにわたって倒壊しました。
天守・櫓の屋根瓦や鯱も落下したと報じられています。
本震の4月16日未明の被害についてですが、熊本城総合事務所は「余震のため状況確認ができていないが、東十八間櫓と北十八間櫓が倒壊した模様」「その櫓の一部が、隣にある熊本大神宮境内建物の屋根を突き破った」とされています。
そのうち、崩落が50箇所、229面におよんでいます。
建物の方は、前震のあった4月14日時点で、重要文化財建造物10棟に被害が確認されています。
そのうち、内堀は80メートルの倒壊、瓦・外壁落下などが9棟でした。
けれども、本震のあった4月16日には、倒壊が2棟、一部倒壊が3棟、他は、屋根や壁破損など、重要文化財建造物での被害は13棟もありました。
さらに、復元建造物の被害が20棟におよびます。
そのうち倒壊は5棟、その他には、建物下部の石垣崩壊や、屋根・壁の破損などの被害が報告されています。
石垣崩落の大きな原因には、石垣の上に樹齢50年~100年の大木があったことを、環境建築研究者の岡田好勝が指摘しています。
これは「樹木は地上の部分が根より重く、枝の広がりがあり、根は揺れによるモーメントを根回りの土壌に逃がそうと作用し、その反作用で根が埋まっている周辺の石垣に大きな圧力をかけたために、崩落を助長した」とする主張です。
文化庁の試算では、石垣の撤去や積み直しなどの作業には、1平方メートルあたり150万円かかると見込んでいます。
そして、総修復費用には、おおよそ354億円ほどかかるとの試算を明らかにしています。

しかし、その報告は石垣のみです。瓦が落下した天守や倒れた櫓や塀などは、まだ被害の全容がわかっておらず、これらの修復費用の試算はされていないようです。
熊本市の大西一史市長は2016年7月26日に、天守の修復を3年で、全体の修復を20年で終える目標を明らかにしています。
天守閣の柱に使う鋼材は、普通のビルに用いられるものより薄く複雑な形状を求められます。
そのため、溶接などで前回の再建後に開発された新しい技術や工法が導入されています。
この修理で、内部にエレベーターを設置することが決まっています。
2021年1月29日付で長堀の復旧工事が、同年3月24日付で天守閣の復旧工事が完了しています。その後は、櫓群の解体復旧・修復工事が行われる予定です。
2022年11月22日、大西一史市長は、復旧が最初の計画より15年遅れて、完全復旧は2052年度となる見込みであると発表しています。
そして2024年7月時点では、復旧したところと、復旧中のところがあります。
建築(築城した人物)
築城した人は加藤清正で築城の名手でした。
1591年から、千葉城・隈本城があった地に城郭を築き始めました。
1600年頃に、天守が完成します。同年の「関ヶ原の戦い」の功績によって、清正は肥後一国52万石の領主となります。
主な城の遺構には、次のようなところがあります。
- 宇土櫓
- 北十八間櫓(やぐら)
- 東十八間櫓など櫓多数
- 不開門(あかずのもん)
- 長堀
- 石垣
- 堀
繰り返しますが、熊本城には武者返しと呼ばれる石垣があります。(【歴史】の欄に武者返しの説明をしています)
それと各所にある櫓などは、防衛に有用なだけでなく美しさを兼ね備えています。
また、城内には井戸が120個ほどあります。
これは、加藤清正が朝鮮出兵で籠城戦を強いられて、苦しい戦いをしました。
その経験から、城内の水が尽きないように、井戸をたくさん作ったのかもしれません。
エピソード(別名・関連する出来事)
熊本城の完成と同時に、隈本という地名を熊本に改めます。
その理由は、加藤清正が「『隅本』より『熊本』の方が勇ましかろう」と言ったという伝承があるからです。
銀杏城の由来
熊本城の別名は銀杏城です。由来は、城内に植えられた銀杏(いちょう)の木です。

これには理由があり、籠城戦になった時の食糧確保のために、築城時に加藤清正が銀杏を植えたといいます。
これも、朝鮮出兵での蔚山城籠城戦で食糧不足に苦しんだ経験を活かしているとのことですが、この銀杏の大木は雄木なので実はなりません。城内を知らない人が、後世につくった俗説と考えられています。
剣豪・宮本武蔵
剣豪の宮本武蔵は、城内の千葉城で晩年を過ごしたといわれています。
千葉城は、現在は茶臼山の東側にある小丘陵で、茶臼山の周辺で最初に作られた城郭です。
それが1640年頃です。宮本武蔵は、細川忠利に招かれたといわれています。
御幸橋南詰にある「清正公」像

江戸時代に熊本藩の歴史の大部分を占めていたのは細川氏でした。
しかし、西南戦争で熊本城の天守が消失する様を、地元の人は「清正公(せいしょこ)さんの城が燃えている…」と悲しんだそうです。
また、西南戦争の際に官軍の守る熊本城を攻め落とすことができなかった西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と言ったと伝えられています。
このように、熊本城には加藤氏・加藤清正にかかわる話があります。
今も受け継がれているイベント
熊本城で毎年開催されているイベントには、次のようなものがあります。
- 迎春行事
- お城まつり(春と秋を中心に開催されている、熊本城を舞台としたイベント)
- 坪井川園遊会(桜の馬場城彩苑を会場にして行われる、伝統芸能や童謡コンサートなど)
- おもてなし武将隊夕涼みツアー(「熊本城おもてなし武将隊」によるツアー)
- 名月鑑賞の夕べ(「中秋の名月」にあわせて、熊本城内で開かれるお月見)
- みずあかり(熊本城から続く桜町から辛島公園までの通りで開催される、竹灯りのイベント)
- 旧細川刑部邸紅葉ライトアップ
アクセス

住所:熊本県熊本市中央区本丸1-1
定休日:12月29日~31日
営業時間
3月から11月:8:30~18:00(入園は17:30まで)
12月から2月:8:30~17:00(入園は16:30まで)
入場料金
- 高校生以上 800円
[有料入園30名以上の団体料金:640円] - 小・中学生 300円
[有料入園30名以上の団体料金:240円] - 未就学児 無料
熊本市内に在学する小中学生や、身体障がい者手帳などの交付を受けている人や、熊本市内在住の65歳以上の人、城主手形を持っている人は入園料が免除されます。
ただし、入園料免除の人も、券売所で入園料(無料券)の受け取りが必要です。
年間入園券
- 料金:高校生以上1,600円(中学生以下への販売はされません)
- 有効期間:1年間(発行日から翌年同日前日まで)
- 申込場所:二の丸券売所、年間入園券お申込みサイト
- 受取場所:二の丸券売所
注意点:復旧工事のために、本丸(有料部分)入城不可
- クレジットカード:VISA、Master、JCB、銀聯、DINERS、AMEX
- 電子マネー:交通系ICカード、Edy、WAON、nanaco、iD、QUICPay
- QRコード決済:WeChatPay、ALIPAY、PayPay、au PAY、d払い、メルペイ、楽天ペイ、BankPay、J-CoinPay、ゆうちょPay
わくわく座券売所と二の丸券売所の券売機では、銀行Pay、AEONPay、銀聯QRの利用ができます。
その他のお知らせ
電動アシスト付き車いすが必要な人には、無料で貸し出しをしています。
ただし、同伴者が必要で、雨天時の利用はできません。
また、気分が悪くなった人などのために、来場者用の救護室が4か所に設置されています。
さらには、天守閣内には「思いやりエレベーター」が3機ありますが、利用できるのは、次の人たちに限ります。
- 車椅子、ベビーカー利用の人(介添者含む)
- 階段の利用が難しい人
利用希望の場合は、天守閣入口のスタッフに声をかける必要があります。
なお、天守閣内の撮影についてですが、写真や動画の撮影は、個人の記録用の場合のみ可能です。
展示物の二次利用はできません。
また、SNSなどでの写真や動画の投稿、配信はご遠慮ください。
アクセス
熊本城は、熊本県の県庁所在地である熊本市の中心部にあります。

車で熊本城へ行く場合
各ICから熊本城(二の丸駐車場・二の丸広場)までのおおよその時間は、次のとおりです。
- 植木ICから約40分
- 熊本ICから約30分
- 益城熊本空港ICから約30分
- 御船ICから約40分
- 阿蘇熊本空港から約45分
公共交通機関を利用する場合
- 熊本駅から「熊本城周遊バスしろめぐりん」で約30分。
区間運賃:大人180円、こども90円。区間運賃は、どこから乗ってもどこで降りても、金額は同じです。
一日乗車券:大人500円、こども250円。一日乗車券には各施設の割引券がついています。 - 熊本駅から市電で「熊本城・市役所前」まで17分。そこから徒歩10分です。
- 熊本駅から路線バスで「桜町バスターミナル」まで約10分。そこから徒歩10分です。
- 阿蘇熊本空港から空港リムジンバスで「桜町バスターミナル」まで約50分。そこから徒歩10分で着きます。
まとめ
熊本城は、日本100名城のひとつです。
西南戦争で本丸の大部分が焼失していますが、櫓11棟と門1棟、堀1棟が国の重要文化財に指定されています。
城跡も、熊本城跡として国の特別史跡に指定されています。
また、平成28年の熊本地震で大きな被害を受けていますが、現在は、二の丸広場も復旧され、石垣も400年前の姿にもどっています。
修理された箇所には番号も振られ、被災前と同じ並びに積み直されています。
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