「フォレスト・ガンプ/一期一会」は、1994年公開のアメリカ映画です。監督はロバート・ゼメキス。日本公開は1995年です。
アカデミー賞6部門を受賞したトム・ハンクス主演のヒューマン・ドラマ。知能障害に不自由な足を持った少年が様々な経験をしながら成長していくという物語です。
この作品の魅力はなんといっても、実際にアメリカで起こった歴史的出来事が時系列にあわせてストーリーに組み込まれていることです。
ストーリーの主人公であるフォレストもそれらの出来事に絡んでいるので、よりリアルにアメリカを感じることができます。
具体的なところで言えば、フォークやヒッピー文化や黒人の公民権や大統領の射殺事件などどれもアメリカを語る上では重要なことばかりです。
それでは、「フォレスト・ガンプ/一期一会」をご紹介していきましょう。
あらすじ(ネタバレあり)
バス停のベンチに座る男フォレスト・ガンプは、たった今バスから降りて同じベンチに腰かけた女性に自分の半生を話しはじめます。
アラバマ州に生まれたフォレストは、生まれつき背骨が曲がっており、脚装具がなければ歩けません。また彼はIQ75の知能しかなかったため、学校の先生にも養護学校への入学を進められていました。
しかし、フォレストを女手一つで育てるミセス・ガンプは、彼を普通の子として育てるため公立学校へ進学させます。
登校初日、スクールバスで他の子からいじわるされるフォレストを同じ座席に座らせたのは、心優しい女の子ジェニーでした。
2人は仲良くなり、ある日いじめっ子から逃げるためジェニーが「走って、フォレスト」と呼びかけたところ、フォレストは脚装具をはじき飛ばして誰も追いつけないスピードで走りはじめます。
走りに目覚めたフォレストは、その才能を見出されて大学に入学。アメフトの試合で大活躍し、全米代表チームに選ばれ、時の大統領ジョン・F・ケネディとホワイトハウスで面会します。
やがて、アメリカがベトナム戦争に介入していった時期に大学を卒業したフォレストは、入隊を決意、そこで出会ったベンジャミン・“バッハ”・ブルー意気投合します。
バッハの夢は家業であるエビ漁師を継ぐことでした。ベトナムへの出征前、フォレストは週刊誌に出たことがきっかけで大学を退学となり、ジェニーに暫しの別れを告げます。
ダン・テイラー中尉の小隊に配置されたフォレストでしたが、敵の待ち伏せに遭い壊滅状態になります。その戦闘でバッハは息を引き取りました。
ダンを助けたフォレストでしたが、両足を失った彼は「なぜあの時死なせてくれなかったんだ」とフォレストを責めました。
その後、ベトナムの軍病院で療養中にピンポンの才能に目覚めたフォレストは、米中のピンポン外交の主役になります。
数年後、除隊したフォレストは卓球で稼いだ賞金を元手に、亡き親友バッバの夢を叶えるためにエビ漁の会社「バッバ・ガンプ・シュリンプ」を設立してします。
後に、退役後すっかり落ちぶれ自暴自棄になっていたダン中尉も会社に加わり、フォレストは稼いだ金をバッハの遺族に渡し、また、様々な所に寄付していきます。
しかし、彼自身にも大きな悲しみが訪れます。故郷の母が病に倒れ帰らぬ人となってしまいました。
その後、フォレストはジェニーと再会し、しばらくの間幸せな時間を過ごしました。しかし、ジェニーは突然姿を消してしまいます。
フォレストは、ふと理由もなく走りたくなる衝動に駆られ、家を出て走り始めました。
フォレストは来る日も来る日もアメリカ大陸を走り続け、いつしかそんな彼の姿に共感した人々が一緒に走るようになり、マスコミは「平和を願って走る男」と取り上げました。
しかし、走り疲れたフォレストは家に戻ります。そこにジェニーから手紙が届きました。フォレストはこの手紙を受け取ってアラバマを飛び出し、冒頭のバス停までやって来ます。
彼女のアパートを訪ねると、ジェニーが喜んでフォレストを招き入れ、自分の子供を紹介します。
男の子の名前は、父親の名をとってフォレスト。フォレストはその時初めて、自分が父親になっていたことを知ります。
さらにジェニーは自分が病でもう長くないことを伝えた上で、フォレストに結婚を申し込みます。故郷アラバマで、フォレストはジェニーと結婚。
家族3人短い幸せな生活の後、ジェニーは亡くなりました。フォレストはシングルファーザーとして我が子を育て上げる決意をしました。
キャスト
フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)
フォレスト・ガンプは、アラバマ州出身の男性です。
IQは75と低いものの、母やジェニーを無条件に愛し続ける純粋さを持っています。エビ漁の成功によって富を手にするものの、金や名誉には全くこだわりがありません。
アップル・コンピュータの投資でできた莫大な財産は、教会に寄付したり、病院を作ったりと他人のために使い、自分は芝刈りのボランティアをして暮らします。
走ることがガンプの人生にとっては欠かせない要素となっています。走ることで足の矯正具を破壊。走る速さによってアメフトで活躍します。
ベトナムでは仲間を助けるために走ります。ジェニーに去られた後には突如として走って全米横断をはじめます。
歴代アメリカ大統領やエルビス・プレスリーといった有名人と会う機会が多数あります。
演:トム・ハンクス
シェイクスピア劇団に参加した後、ニューヨークのTV、舞台で活動します。
転機となったのはTVシリーズ「ハッピー・デイズ」へのゲスト出演で、その時、ロン・ハワード監督と知り合い、84年「スプラッシュ」で主演を獲得、注目を集めます。
その後も実直でコミカルな青年といった役どころで人気を上げつつ、88年「ビッグ」でアカデミー主演男優賞にノミネート。
93年「フィラデルフィア」で同主演男優賞を獲得。翌94年も「フォレスト・ガンプ/一期一会」にて同賞を獲得し、スペンサー・トレイシー以来、史上2人目の2年連続主演男優賞受賞となりました。
ミセス・ガンプ(サリー・フィールド)
知能指数の低いフォレストを普通の子どもと同じように育てたいと願い、そのためには学校の教師と寝てでも公立学校に通学させます。
「人生は何が起こるかわからない」という哲学の持ち主で、彼女の話した多くの言葉は、フォレストの人生に大きな影響を与えます。
フォレストには惜しみなく愛を与え、大学の卒業式や名誉勲章をジョンソン大統領から受ける時には参列して誇らしげに息子の姿を認めます。
自らがガンに侵されて余命が短くなった際にも「死も人生の一部」と受け入れ、静かに亡くなります。
演:サリー・フィールド
TVシリーズ「ギジェットは15歳」、「いたずら天使」などで注目されます。67年、「大西部への道」で映画デビュー。
77年、「トランザム7000」に出演して人気となり、79年「ノーマ・レイ」ではアカデミー主演女優賞を受賞。
84年「プレイス・イン・ザ・ハート」で再び同賞を受賞。また、83年にフォッグウッド・フィルムを設立。91年「愛の選択」では製作も手掛けています。
最近はTVシリーズ「ER 緊急救命室」にゲスト出演してエミー賞を受賞しています。
ジェニー・カラン(ロビン・ライト)
フォレストの幼なじみの女性で、フォレストとは異なる人生を送りながらも、常に彼から思われ続ける存在です。
有名になりたいと思っており、大学生時代にはジョーン・バエズのようなカントリー・シンガーを目指しています。
しかし、雑誌「PLAYBOY」に大学のセーターを着たセミヌードの写真が掲載されたことから退学となってしまいます。
3年以上に渡ってフォレストがアメリカ全土を走り続けていることをテレビで知り、彼に手紙を出します。
やって来たフォレストに、2人の間にできた息子フォレストを紹介し、ウィルスによって自分の命が長くないことを告げます。
そして、彼に求婚します。2人は結婚式を上げますが、フォレストの母親が使っていたベッドで闘病生活を送り、土曜日の朝に亡くなります。
演:ロビン・ライト
14歳からモデルを始め、ヨ-ロッパや日本で活動します。やがて女優を志すようになり、TVシリーズ「サンタ・バーバラ」に出演してエミー賞を受賞。
その活躍を見たロブ・ライナー監督によって87年「プリンセス・ブライド・ストーリー」のお姫様役で映画デビューします。
94年の「フォレスト・ガンプ/一期一会」でガンプが恋するヒロインを演じて一躍注目されます。
いろいろと恋の噂があがりましたが、96年ショーン・ペンと再婚して話題になりました。
ダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)
ベトナム時代のフォレストとババの上官です。階級は中尉。軍人の家系で、アメリカが戦ったすべての戦争に先祖が参加したといいます。
先祖と同じように名誉の戦死が運命と考えているものの、ベトナム軍との交戦で両足を負傷した際にフォレストによって助けらますが、両足のヒザから下を失います。
車イス生活となり、神を信じられなくなり、自暴自棄で酒浸りの生活を送っているなか、ニューヨークでフォレストと再会。
その後、エビ漁を始めた彼の元を訪れ、一緒にエビ漁をするようになり、生きる活力を取り戻し、助けたことを逆恨みしていたこともあったフォレストに感謝を告げます。
演:ゲイリー・シニーズ
シカゴに拠点を置き、演出兼役者として活躍。演出ではさまざまな賞と評判を得ることとなります。その手腕が買われて「クライム・ストーリー」の数話の演出を担当。
映画では「マイルズ・フロム・ホーム」の監督を務めます。それと同じ頃には役者としても本腰を入れ始め、トニー賞候補になったこともあります。
92年の「二十日鼠と人間」は舞台演出の後に映画化して双方とも絶賛を浴びます。
その後は俳優として各ジャンルの重要な役柄を演じて実力を発揮し、「フォレスト・ガンプ/一期一会」ではアカデミー助演賞候補になり、「プレジデント・トルーマン」ではゴールデン・グローブ賞(TV、ミニ・シリーズ部門)を受賞しています。
ババ・ブルー(ミケルティ・ウィリアムソン)
軍隊でフォレストの親友となる人物です。本名はベンジャミン・ビュフォード・ブルー。実家はアラバマ州のバイユー・ラ・バトルです。
母親も祖母も曾祖母もエビの料理人を務めてきたこともあり、エビの知識が豊富です。戦争が終わったらエビ採り漁で生計を立てて行こうと考えておりフォレストを誘います。
しかし、戦闘に巻き込まれて死んでしまいます。
演:ミケルティ・ウィリアムソンセントルイス出身。母親が会計士、父親が空軍の家庭に生まれます。15歳の時に家族でロサンゼルスに移り、高校卒業後に本格的に俳優への道を歩み始めます。ロサンゼルス・シティー・カレッジを卒業。
おもな出演映画に、ヒート(95)、コン・エアー(97)、奇跡のシンフォニー(07)などがあります。
基本情報
受賞歴
第67回アカデミー賞
作品賞
監督賞 ロバート・ゼメキス
脚色賞 エリック・ロス
主演男優賞 トム・ハンクス
編集賞 アーサー・シュミット
視覚効果賞 ケン・ローストン ジョージ・マーフィー 他
第52回ゴールデン・グローブ賞
ドラマ部門作品賞
監督賞 ロバート・ゼメキス
ドラマ部門主演男優賞 トム・ハンクス
「フォレスト・ガンプ」の見どころ
フォレスト・ガンプの見どころをいくつかご紹介します。
風のように早く走るガンプ
知能指数が低く、足に矯正具をしているフォレストは、いじめの対象でした。ある日、いじめっ子たちに石をぶつけられるフォレスト。そばにいるジェニーは「走って、フォレスト走って!」と叫びます。
フォレストは自転車で追いかけてくるいじめっ子たちから走って逃げます。矯正具をつけているため、最初はぎこちない走りでしたが、途中で矯正具が壊れ「風のように早く」走れるようになります。
「走る」ことは、フォレストの人生にとって欠かせない要素となります。
速く走ることによってアメフトで活躍。ベトナムでは仲間を助けに走る。ジェニーに去られた後には、走って全米を横断はじめます。そんなガンプが初めて走ったシーンです。
母ミセス・ガンプの死
エビ漁がうまくいき、フォレストの人生は順調と思われたある時、母が病気と知らされます。エビ採り船に乗っていたフォレストは、いてもたってもいられず水面に飛び込みます。
母はがんで余命はわずかでしたが、母は死を受け入れており、穏やかにフォレストに対して話をします。
フォレストの母は彼を愛し、なんでも知能指数が低いガンプにもわかるように説明しました。母の言葉はフォレストの人生の指針となっていました。
「死も人生の一部」「人生はチョコレート箱よ。開けてみるまで何が入っているか分からない」「神様からの贈り物を使って、ベストを尽くすのよ」と、フォレストにアドバイスをし、火曜日の朝に亡くなります。
息子との対面
ジェニーに去られたフォレストは、突如思い立って走り始めます。全米を何度も横断し、3年以上に渡り走り続けます。
走るのをやめた彼の元に、ジェニーから手紙が届きます。再会したフォレストにジェニーは少年を紹介します。少年の名前はフォレスト。彼の息子でした。
フォレストがジェニーに結婚のプロポーズをした夜に、一夜だけ結ばれた時にできた子供でした。
フォレストは自分と同じように知能指数が低いことを心配しますが、息子は賢いようです。一緒にテレビを見る息子と父親の姿をジェニーは見つめます。
ジェニーはウィルスに感染し、長い間生きられないことが分かっていました。この後そのことを聞いたフォレストは、「自分が面倒を見る」と言います。
以前とは反対にジェニーの方からプロポーズ。2人は結婚します。
「フォレスト・ガンプ」に登場する史実
「フォレスト・ガンプ」に登場する主人公は架空のキャラクターですが、劇中に登場する出来事は実話がほとんどです。
ベトナム戦争と反戦運動
第二次世界大戦後、指導者ホー・チ・ミンが中心となってベトナム北部が独立、ベトナム民主主義共和国(北ベトナム)を樹立しました。
しかし当時は、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義側陣営とソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義義陣営の対立による緊張状態が続いていました。
ソ連の支援で共産主義国家となった北ベトナムの影響が隣国に及ぶことを恐れた米国は、自由主義国家のベトナム共和国(南ベトナム)を支援しました。
戦争が泥沼化するにつれて米国内では反戦の機運が高まり、1973年米軍はベトナムから完全撤退しました。
ポップカルチャー
アラバマの実家で過ごしたフォレストの少年時代、彼の家に泊まり、フォレスト少年を部屋に招いてギターを弾いていたのは、かのエルビス・プレスリーです。
ロックン・ロールの誕生と普及に大きく貢献した彼は、後の多くのアーティストたちに影響を与えました。ヒップを揺らす独特の振りが、劇中では脚装具をつけたフォレストの独特な歩き方から着想を得たことになっています。
また、中国へのピンポン外交で一躍有名になったフォレストがテレビ番組でゲスト共演したのは、ジョン・レノンです。
彼は、20世紀を代表するロックバンド・ビートルズとして世界中を席巻し、ビートルズ解散後は、米国を主な拠点としてソロ活動を始め、また平和運動家としても活動しました。
ジョンは1980年に殺害されて短い生涯を終えましたが、彼の音楽は同性代・次世代のミュージシャンに大きな影響を与えました。
フォレスト名言集
「ある日、これといった理由もなく、少し走ってみることにした」
長い間待ち続けたジェニーがフォレストのもとに帰ってきました。
しかし、幸せも束の間、すぐにジェニーは去っていってしまいます。
ショックを受けたフォレストは、突然走り始めます。彼はただひたすら走り続け、全米を何度も横断すると一躍時の人になります。
ときに理由がないものこそが、強い力を発揮することもあるということを教えてくれます。
「何かあったら勇気など見せずに走って」
戦争でベトナムに行くフォレストに、ジェニーが言った言葉です。
何か怖いことがあると、勇気を振り絞って立ち向かわなければという気になります。
しかし、このジェニーの言葉は、走って逃げることも時には必要なのだと気づかせてくれます。
「ぼくは利口じゃないけど、愛が何かは知っているよ」
ジェニーと一緒に住んでいるフォレストが「結婚しよう」とジェニーにプロポーズ。でもジェニーは、自分なんかと結婚したいはずがないと、立ち去ろうとします。
そんなときにフォレストが言った、とてもまっすぐな言葉です。
「人生はチョコレートの箱みたいなもの。開けてみるまで中身は分からない」
まさしく、映画「フォレスト・ガンプ」のすべてを集約しているセリフ。人生の多くを学んだ母から言われた、フォレストにとって忘れられないメッセージです。
ただひたすら目の前の人を助けるために、フォレストは一生懸命に生きてきました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
知能指数が低く、背骨の歪みによって幼い頃は矯正器具を付け、いじめられっ子の典型だったフォレスト。
最愛の人が自分の前から何度も姿を消してしまったり、戦友や、唯一無二の理解者である母を亡くしてしまったり、悲しい出来事が彼の人生に起こります。
しかし、持ち前のポジティブさと一途な思いによって、大金持ちになり、生涯ただ一人の恋人と結ばれ、息子が誕生するという幸運にも恵まれます。
人生で行きづまった時や悩みや不安に押しつぶされそうになったとき。そんな時はフォレストの一途な生き方が人生のヒントを与えてくれるかもしれません。
名作と呼ばれる映画は他にもたくさんありますが、この作品は子供から大人、男女問わずどんな人が観ても楽しめる作品になっているのではないでしょうか。
「フォレスト・ガンプ/一期一会」1度は見ておきたい名作です。
監督 ロバート・ゼメキス
脚本 エリック・ロス
原作 ウィンストン・グルーム『フォレスト・ガンプ』
製作 ウェンディ・フィネルマン スティーヴ・ティッシュ 他
出演者 トム・ハンクス サリー・フィールド ロビン・ライト 他
音楽 アラン・シルヴェストリ
撮影 ドン・バージェス
編集 アーサー・シュミット
配給 〔アメリカ〕パラマウント映画 〔日本〕UIP
公開 〔アメリカ〕1994年7月6日 〔日本〕1995年3月11日
上映時間 142分
製作国 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $55,000,000
興行収入 〔アメリカ〕$330,252,182 〔世界〕$677,945,399
配給収入 〔日本〕 38億7000万円