土造りの城である久保田城について

土造りの城である久保田城について

秋田県秋田市にある久保田城を取り上げさせて頂きます。
久保田城は、秋田駅から徒歩10分ほどで行くことができます。日本100名城の第9番に選定されています。

城主

主要城主は佐竹氏です。

佐竹扇

佐竹氏は、源氏の流れをくむ名門です。古い歴史を持ちます。
佐竹義宣(よしのぶ)は、「関ヶ原の合戦」での消極的な態度を咎められ秋田へ移封(いほう)されます。

移封とは
大名などの領地を他の領地に移すことです。
しかし、この移封は、移封先の知行高が明示されないという異様なものでした。

そこで、久保田の地である神明山に新たな城を築いて、城下町を建設します。
神明山は、現在の千秋公園です。

それ以来、秋田市は久保田城下町を中心として発展しています。
移封後は、佐竹氏12代の居城となっています。

佐竹資料館が、千秋公園(丸久保田城二の丸)のなかにあります。

千秋公園

公園内に、見張り場や武器の保管場所だった御隅櫓(おすみやぐら)、物頭の詰め所だった御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)などがあります。

佐竹資料館は、それらの施設と連携して佐竹氏に関する資料を展示し、秋田の藩政時代の紹介をしています。

ただし、佐竹史料館は館の建て替え工事にともなって、令和4年7月1日から休館しています

休館中

歴史

城は常磐源氏の名門であった、佐竹氏12代の居城でした。

佐竹義堯

城は幾度となく火災に見舞われて、その都度再建されています。

幾度目かに再建されたものは明治まで残っていましたが、1880年(明治13年)の火災によって大部分の建物は焼失しています。

唯一現存する藩政時代の建物
雄物頭御番所唯一の現存する建物は、御物頭御番所です。御物頭御番所とは、二ノ門の開閉管理、城下警備、消火などを担当した足軽組頭の詰所です。

本丸表門は2000年に再建されています。城内にあった八つの櫓のなかで、本丸北西隅に位置していた武器庫や見張りの役割があった御隅櫓は、市政100周年を記念して1989年に三重四階の模擬櫓として復元されています。

本来は二重櫓ですが、展望台が設置されました。現在は千秋公園としての整備がされています。

建築(築城した人物)

築城者は佐竹義宣です。

石垣も天守も無いのが特徴の久保田城:「土造り」の名城

久保田城(秋田城)

久保田城は、一見するとつつましいお城です。

高い石垣はなく、土塁と水堀と枡形の出入り口で守りを固めています。

ですが、広く深い水堀を三重にめぐらせて、土塁を高くした縄張のこの城には、土の城を得意とする佐竹義宣の自負が込められているでしょう。

城には天守はじめから造られていません。天守の代用には、本丸南西隅の書院風二階建ての御出書院(おだししょいん)がありました。

高い石垣はなく、土塁と水堀と枡形の出入り口で守りが固められています。

桝形とは、城郭の虎口(こぐち)と呼ばれる狭い口に設けられた施設です

四角形の空間を石垣で囲んで、2つの門をつけたものです。

守りの機能も、攻めの機能も有しています。防御性が強いです。

一般的には、外側の門を高麗(こうらい)門、内側の門を櫓(やぐら)門にします。

ここで、城郭の外側の囲いの内側に設けられたものを内桝形(うちますがた)、外側に設けられたものを外桝形(そとますがた)といいます。外桝形は外側に突出して設けられています。

桝形はお城の施設ですが、宿場町の入り口にも簡略な桝形がつくられています。

エピソード(別名、関連する出来事)

現在では、城のほとんどは千秋公園として整備されていて、市民に親しまれています。

千秋公園は、春は桜花が爛漫で、夏は新緑を楽しめます。
秋は紅葉が綺麗です。冬は雪化粧するので、季節を楽しむことができるところです。

三ノ丸跡は千秋城下町や千秋久保多町、北ノ丸跡は千秋北の丸として市街地化されています。

本丸には、御隅櫓と表門が、発掘調査や絵画をもとに復元されて、御物頭御番所が唯一の建造物として残っています。

城であったところが、現在どうなっているかを下記に記載します。

大手門跡

久保田城 大手門通り

現在は大手門通りとなっていて、交通量はとても多いです。

元々は、久保田城の正門にあたる門でした。かつては二層の門が存在していました。

久保田城表門

久保田城 表門

本丸の正門で、一ノ門とも呼ばれていました。本丸の玄関口です。

警備上からも重要な地点とされています。
南側には門の警備や管理をする「御番頭局(ごばんがしらべや)」を置いて、門の下手には侵入者の警戒をする「御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)」あり、守りが厳重となっています。

今あるのは、絵画などの文献資料や発掘調査の成果をもとにして再建したものです。

構造としては、木造2階建て瓦葺き(かわらぶき)の櫓門(やぐらもん)で、二十万五千八百石の佐竹氏のお城の正門にふさわしいものになっていて、壮大です。

外側階段下に、唯一の現存遺構の御物頭御番所があります。

大手門前の水堀

久保田城 大手門前の水堀

お城が使われていた頃は、三の丸の水堀が広く地域を囲んでいました。

土塁と堀で防御する、関東の中世城郭の縄張術が活かされていました。

御隅櫓(おすみやぐら)

久保田城 御隅櫓

本丸の北西隅に市制百周年を記念して建てられた、鉄筋コンクリート造三重四階櫓です。

本来は、二重櫓で、物見や新兵具庫を兼ねていました。

唐金橋跡

唐金橋跡

大手門通りから唐金橋跡に入って、黒門跡へと続いています。

いまでは中土橋を経て、松下門方面からの出入りが多い所です。

城があったときは、その黒門が正式な登城口でした。

黒門跡桝形

久保田城 黒門跡枡形

黒門跡を抜けると、枡形が設置されています。

二ノ丸跡

久保田城 二ノ丸跡

黒門、松下門、どちらを通っても最初に二ノ丸に辿り着きます。この二ノ丸は本丸へ続いています。

長坂

久保田城 長坂

長坂門へと続いています。

長坂門跡

久保田城 長坂跡

二ノ丸から本丸へと続いているのが、この長坂門です。二ノ門とも呼ばれていました。

この長坂という名称は、長い石段の「長坂」にちなんでいるといいます。

こちらも桝形となっています。

御物頭御番所

久保田城 御物頭御場所

久保田城では唯一の現存建造物です。

御物頭とは、秋田藩では番方に属す役割で、配下の足軽を指揮して本丸への玄関口の、表門の開閉と城下一帯の警備を担当していました。

番方とは、番衆ともいって、交代で陣営などの警衛・雑務に当たった者です。

アクセス

秋田駅改札

久保田城は、秋田県秋田市にあります。JR奥羽本線、秋田新幹線の秋田駅から徒歩10分です。
久保田城跡のある千秋公園は散策自由です。

観覧料

一般:150円
団体(20人以上から):120円(団体料金での受付希望の場合は、入管時に申し出る必要があります)

  • クレジットカード(Visa、Mastercard、JCB、AMEX、DisersClub、DISCOVER、銀聯)が使えます。
  • 電子マネー(iD、QUICPay、楽天Edy、nanaco、WAON、Suicaほか交通系ICカード各種)が使えます。
一般・一般団体以外の方

高校生以下:無料

身体障害者手帳精神障害者保健福祉手帳または療育手帳の交付を受けている者、およびその介護をする者1名は無料です。

ただし、手帳かミライロIDのご提示が必要です。

開館時間

9:00から16:30まで
ただし、市立小中学校の夏季休業中は、9:00から19:00まで。

休館日

12月1日から翌年の3月31日まで。

秋田市から観覧のお客様へのお願い

施設、公園内は禁煙です。
中での飲食や、携帯電話による通話および他のお客様のご迷惑になる行為もご遠慮ください。

撮影について

個人的利用の範囲外であったり、商業利用が含まれる写真や動画の撮影、利用には「資料等特別利用許可」の申請が必要です。

日本100名城スタンプ
久保田城御隅櫓に設置されています。冬季休館の12月1日から3月31日の間は、秋田市文化創造館で押印することができます。

日本城郭検定について

まとめ

秋田県秋田市にある久保田城について、取り上げさせて頂きました。
久保田藩佐竹氏の居城で、矢留城・葛根城とも呼ばれます。

江戸時代後期には、秋田城と呼ばれたこともありましたが、正式な城名は「久保田城」です。

石垣は、基底部に僅かにあるだけです。その上に土塁が盛られています。天守をもたない城でした。

明治13年の大火で、城内の建造物は焼失しています。その後に、市街再建で堀の多くは埋め立てられています。

そして、城下の中通を中心に、秋田県の初期の官庁街に変わっていきました。

いまでは、久保田城本丸があったあたりは、千秋公園となっています。
秋田県民会館や秋田市立中央図書館明徳館や平野政吉美術館などが整備されています

久保田城 秋田県民会館

建造物では、大火を逃れて解体も移築もされていない御物頭御番所が現存しています。
その他には、本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)と本丸表門が再建されています。

 

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