第21回「長篠を救え!」
今回は亀姫と強右衛門とのやりとりがよかった。
今回のあらすじ
前回(第20回)の「まとめ」の欄で、瀬名が築山に歩き巫女の千代を招き入れたと記述したが、今回もそこから話が始まった。
千代が岡崎城のことを危惧する一方、瀬名はお茶を立てながら千代の境遇を聞いてきた。
千代は夫を亡くし、子供もいないなかで忍びを務めているらしい。
そこまで語らせた瀬名の話術に千代は警戒し、去っていった。
千代が去った後、今度は瀬名の娘の「亀」が走ってきた。
得体の知れない者が倒れていたらしい。
相手は毛むくじゃの大男で、手が汚いのが印象的だ。
男の名は「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」という。
彼によると、この前日武田軍に包囲された長篠城が絶体絶命で、長篠城の当主である「奥平信昌」は、徳川軍に援護をお願いするため、強右衛門を岡崎城に使わせたとのことだった。
ちなみに、長篠は武田軍を裏切った集団だった。
今まで再三援軍を要請したものの、全然動いてくれない織田軍に対して、さすがの家康もしびれを切らしたため、今回は多少脅す方法で織田軍を呼び寄せた。
織田軍も2万もの兵を引き連れて、岡崎城へ来た。
これが織田信長と家康の家族との対面だった。
(家康の息子・信康の妻は信長の娘の「五徳」)
ところが、信長は勝手に家康の娘・亀の長篠への輿入れを決めてしまっていたのだ。
勝手に亀の縁談の話になって、不安がる家康の家族たち。
信康は信長に縁談を無しにするよう願い出た。
すると、信長側は「徳川との同盟を切る」と発表した。
そして、我が臣下となれとも命令した。
臣下とならなければ、【敵】とみなし、滅ぼされる立場だった。
これには、家康は激怒した。「織田は今まで徳川に何をしてくれた!?桶狭間の戦い以来、多くの犠牲を払いながら儂はこの地域を守ってきたんじゃ」
同盟は決裂し、信長は帰ろうとした。
強右衛門が信長に助けを求めても、お構いなし。
そんな険悪な空気に亀は輿入れを決意した。
父を助けるために、信長に跪くのであった。
そんな亀に、瀬名も「まずは長篠を助けることが先」と促したため、長篠の救出が決まった。
亀も強右衛門の手を取りながら安堵した。
良い知らせを持って帰ろうと、強右衛門は帰郷を急ぐが、運悪くも武田軍に捕まってしまった。
武田勝頼は強右衛門をすぐに殺さず、長篠城を明け渡すよう、ゆするのだった。
武田側の金欲しさに、一度は長篠側に嘘を言う強右衛門だったが、亀のことを思い出し、奥平信昌に真実を伝えた!
これに武田側は激怒し、強右衛門を張り付けにして亡き者にしてしまった。
かけがえのない家臣を亡くして悲しみに暮れる信昌たちだったが、その一方で徳川側と織田側は長篠城救出に向けての議論が交わされていた。
信長はどんな秘策を考えているのか…!?
今回の見どころ
今回の見どころは、やはり鳥居強右衛門の活躍である。
鳥居強右衛門はもともとやる気も勇気もなく、周りから信頼されていない侍として扱われてきたが、無事に岡崎城へ辿り着いて、良い知らせを故郷へ持って帰ることに成功した。
強右衛門の最期は迫力があった。
通説との違い
ドラマでは、長篠側が勢いよく徳川に懇願し、近づいたように描かれていたが、通説では家康側が先に長篠へ働きかけていた。
武田信玄が亡くなったことで情勢が大きく変わったため、家康が信昌やその父親に対して、徳川方に付くことを促したのだった。
そもそも通説でも、武田勝頼の侵攻は規模や範囲が大きかった。
まず、武田勝頼が三河方面に侵攻を開始するのが1575年4月であった。
そして、先鋒隊を足助(あずけ)方面に侵攻させて、出馬したのが同年4月15日だ。
武田軍が足助城を包囲すると、城主である鱸(すずき)氏はすぐに降伏した。
その他にも、豊田市にある5つばかりの小城も攻め滅ぼしていった。
さらに、これだけでなく、東三河方面の野田城や吉田城も攻めていった。
このとき、吉田城では軍勢を引き連れた家康自らが籠城していたため、武田軍が長篠城へ矛先を変えたのである。
そんな武田軍が長篠城を囲んだのは、同年5月1日であった。
もともと長篠城の当主である奥平氏は、今川や織田、徳川など、所属先を転々としてきた国衆だった。
1570年~1573年の頃は、武田の侵攻を受けて武田家の臣下となっていた。
そんな奥平氏を家康は糸を引いたのである。
家康は奥平氏に3つの条件を出していた。
- 亀姫と信昌の婚約
- 領地の加増
- 貞能(信昌の父)の娘を本多重澄に嫁入りさせる
こうして奥平氏は家康に従ったのである。
しかし、武田軍は5月上旬に信昌が守る長篠城を包囲したのであった。
籠城を続けていた奥平勢は、最後の手段として岡崎城にいる家康へ使者を派遣して、援軍を求めるのを決断した。
この役目を負ったのが鳥居強右衛門である。
武田軍に囲まれた城から脱出し、岡崎城までたどり着き、援軍を要請するという試みはほぼ不可能に近かったが、彼は自らこの危険すぎる役目を志願したのであった。
その後の家康からの朗報はドラマと同じになったが、最期の伝達方法が若干異なる。
ドラマでは、一度信昌に嘘を言うが、通説では嘘は言わずに磔台に据えられた状態で伝達していたのであった。
鳥居強右衛門はどのような武将だったのか
鳥居強右衛門の出自はほとんど不明であるが、現在の愛知県豊川市市田町で生まれたとされている。
彼は当初は奥平家の直臣ではなく、陪臣(又家来)として仕えていたらしい。
長篠の戦いの時点で、36歳と推測されているが、鳥居強右衛門が歴史の舞台に登場するのはこのときだけである。
ドラマと同様、家康からの朗報を持って帰ろうとした矢先に、武田軍が捕えられている。
史実によれば、長篠城に成功を報告するための狼煙が、武田軍の穴山梅雪隊に発見されてしまったからである。
強右衛門の機転で使命は果たせたが、武田によって処刑されてしまった。
後に旗指物(はたさしもの:戦場で用いられた軍旗や飾り物)に描かれることになる。それが「落合左平次道次背旗(おちあいさへいじみちつぐせばた)」だ。
武士・落合左平次が、戦の時に、背中にこの旗指物を括りつけて戦ったと言われていて、その旗指物には磔になった褌(ふんどし)一丁の凄まじい形相の男(強右衛門)が描かれている。
この旗は現在、「長篠城址史跡保存館」にて、展示および保管されている。
今回の配役
鳥居強右衛門を演じていたのは、岡崎体育さんでした。
略歴
1989年兵庫県西宮市生まれ、京都在住。
もともとはシンガーソングライターである。
2016年にメジャーデビューした。
俳優デビューは、2018年連続テレビ小説『まんぷく』で、チャーリー・タナカ役を演じた。
ドラマ以外にも、CMや映画出演などマルチな活動を行なっている。
もちろん、歌手活動も順調で2019年には「さいたまスーパーアリーナ(観客1万8千人)」でワンマン公演を実施した。
今までの主な代表作(ドラマ)
- まんぷく(連続テレビ小説)
- ドラマ10 これは経費で落ちません!(NHK)
- 僕はどこから
- DCU~手錠を持ったダイバー~
- 闇金ウシジマくん外伝 闇金サイハラさん
- 藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ『テレパ椎』(NHK BSプレミアム)
など
まとめ
今回は長篠というキーワードが出てきたので、鳥居強右衛門と奥平家について調べてみました。
ドラマでは長篠と徳川が突拍子もなく出てきた描き方でしたが、史実によるともっとつながりがありました。
ドラマの家康は信長に翻弄されている印象ですが、じつはこの頃から「たぬき親父」だったのかもしれません。奥平氏を糸で引いていたのですから。
今回は鳥居強右衛門の活躍までで、まだ合戦は始まっていません。
織田軍と徳川軍がどんな戦い方をするのか、楽しみですね。