アメリカ合衆国の青春ドラマ  スタンド・バイ・ミー

アメリカ合衆国の青春ドラマ スタンド・バイ・ミー

1986年のアメリカ合衆国の青春ドラマ映画です。

1950年代のオレゴン州の小さな町キャッスルロックに住む4人の少年たちが好奇心から、線路づたいに死体探しの旅に出るという、ひと夏の冒険を描いています。

兄弟間の葛藤において生じるカインコンプレックスについても描かれています。

あらすじ

映画スタンド・バイ・ミーは、現在の描写からはじまります。

大人になった主人公:ゴートン・ラチャンスは、車中で新聞を読んでいました。

そこには、かつて子供の頃の親友:クリストファー・チェンバーズの死を伝える内容でした。
ゴートンは、その記事を読んで、過去に思いを馳せました。

遡ること1959年の夏、アメリカオレゴン州の小さな田舎町キャッスルロックが、12歳の少年達にとって全てでした。

それぞれに家庭に問題を抱える、はぐれもの4人はツリーハウスの秘密基地で、ゴーディ(子供の頃のゴートンの呼び名)は、親しい友人達とたわいない話や、トランプやタバコを吸って遊んでいました。

主人公のゴーディは真面目で内気だが、物語を考えるのが好きな少年。

半年前に、最愛の兄デニスが事故で他界。より一層内気な少年になっていました。

クリスは、家庭環境故に悪ぶっているが、賢く心優しい少年でリーダー的存在。

テディは、黒縁メガネが特徴的で、父親に暴力を受け耳を焼かれたりしたが、彼は父親をノルマンディの英雄といいそれでも父親を愛していました。

最後にバーン。彼は、小太りで性格は臆病で弱気物、おっとりしている性格。

そんなある日、ゴーディは秘密基地でクリスとデディを含めた3人とカードゲームをしながら、遊んでいるところにバーンが、やや興奮気味で秘密基地に来て、3人に「死体を見たくないか?!」と、3人に言います。

「きっと発見できれば、僕達は英雄になれる。」これは、バーンがお小遣いをためて宝箱を作り、床下の地面に埋めたが、その時に一緒に地図を作ったが、母親に捨てられてしまい、宝箱の在り処が解らなくなってしまい、折を見ては床下を探していたのです。

丁度その時、バーンの兄とその友人が、ブルーベリー摘みに行ったまま3日間見つからずにいたデイ・ブラワーの死体を見つけたが、盗んだ車の事をバレるのがヤバいから、そのまま見過ごそうと話しているのを、床下でバーンが聴いたという。

その話を聞いた3人は、キャンプに行くことにして4人で、線路に沿って歩いて約30キロ先のチャンバレーへと2日間の12歳の少年達の旅が始まるのです。

4人は、線路沿いを歩いてる途中に、汽車が来てテディ以外は線路から離れるのですが、テディは離れません。

「度胸だめししてやる!」といって、なかなか仲間の言うことを聞き入れず、後ろから汽笛を鳴らした汽車がテディに迫った時、クリスが強引にテディを後ろからはがいじめするようにして、「死ぬとこだったんだぞ!」と2人はしばし揉め合いに。
「仲直りだ」とクリスに言われ、渋々仲直りをします。

鉄橋
そして、誰もが食料を持ってなかった事に気づき、途中にある雑貨店にみんなで出し合ったお金で食料を買うことに。

誰が買いに行くか、コインで決めようといいますが、バーンが嫌がります。

コインが裏になった人が、買い出しに行くことになり、皆一緒にコイン投げをした所、みんな裏になったのを、バーンは絶対に何かあるといい、もう一度コイン投げをするのをしたがりません。

これじゃ買い出しに行けないじゃないかと諭し、渋々もう一度コイン投げをすると、ゴーディだけが裏面に。

買い出しに雑貨屋に行くと、そこの店主が、「死んだ兄デニーは、クウォーターバックとして有望だった。ゴーディはフットボールをしている?将来は何になるのか?」と問われ、何も言えなかったのでした。

そして、買い物を終えたゴーディは、仲間のところへ。
しかし、誰もいない。
廃車置場の主人にバレてしまい、フェンスを登り逃げるところでした。

なんとか、間に合ったゴーディ。
その後、4人は線路沿いを歩き目的地へと歩き続けます。

そうすると長い鉄橋にたどり着きます。汽車が来るかゴーディは線路に触れ振動を確かめます。
来ないことを確認すると前に進み始めます。

汽車

高い所が苦手なバーンは四つん這いになって歩き、その後ろにゴーディが、そのはるか先をクリスとテディ達が歩いています。

列車が来ないか慎重に歩くゴーディが列車の気配を感じ後ろを振り向くと、そこには汽笛を鳴らしながら走る汽車が。

ゴーディは、はるか先にいる2人に叫びます、「汽車だー!!」前をゆく2人も一生懸命に走り出し何とか線路を渡りきります。

そして、後方を歩いていた2人は、バーンは四つん這いで歩いたのを、ゴーディが手を引っ張り後ろから押し出す様な形になりながらも、
何とか汽車をかわして、茂みへ飛び込み助かったのでした。

その夜、森の中で一泊、野宿することに。
先程の、汽車の話で盛り上がる4人の少年達。

人盛り上がりしたところで、ゴーディに何か話はないか?とせがむ3人。
ゴーディは、いつも自分で話を作り仲間たちに話していたのです。

ゴーディは、話し始めます。
「とある町で毎年開催されているパイ食い競争。

その中で、”ブタケツ”と罵られ、いつもいじめられたばかりいたデビット・ボーガンは、この大会で復讐を考えていたのです。

大会が始まる前に彼は、下剤と生卵1個飲み大会へ出場。

大会のルールは、手は使わず顔を直につけてブルーベリーパイを早食いするというもの。

彼・デビットは、出だしから猛烈に食べ始めます。
ブーイングしていた村人達は、「ブタケツ!!」コールが。

前回大会のチャンピオンも、横目で彼を見つめます。

その時です。
デビットのお腹が大きな音を立ててなり始めます。

次の瞬間・・・彼は、隣にいたチャンピオンの顔めがけて吐いたのです。
それを見ていた、司会者もゲロ。

会場全体がゲロの臭いで、参加者や、それを見ていた観客まで、吐いてしまったのです。

それをみていた、当の本人は、満足そうに笑みをみせました。」と作った話を披露しました。

3人は喜び、「この話の続きは?」をせがむと「これで以上だよ」とゴーディは言います。
それを聞いた3人は納得しません。

その後も、4人は他愛もない話をして、就寝しました。

数時間だった頃でしょうか、深夜に動物の大きな鳴き声を聞きいた4人は、見張りを付けることに。

クリスが持って来た、拳銃を片手に持ち最初に当番についたのがテディ。
次にバーン。

そして、クリスが当番の時、就寝していたゴーディがうなされているのをクリスは気づきました。

夢からめざめたゴーディは、クリスに話かけます。

「死んだ兄さんの葬式の夢を見た。葬式の時、泣かなかった。父には”お前が死ねばよかったのに”と夢で言われた。兄さんの亡くなった時、葬式のときには、泣けなかったけど、本当はたまらなく寂しいし、悲しい。」と今の自分の心情をクリスに伝えました。

クリスは「もう、寝たほうがいい」といいますが、ゴーディは話をつづけます。

「クリスは賢いんだから、中学は進学クラスに行くべきだ。」と指摘しますが、”自分の親も、自分も評判が悪いから進学コースには進めない”と言いクリスが語り始めました。

クラスみんなのミルク代をくすねたこと、やはり罪悪感が勝り女性担任のサイモン先生に盗んだお金を返却したが、女性担任がそのお金でスカートを購入する費用にしたことや、「誰もが俺を不良と思っているから自分がお金を担任の先生に返したことを認めてくれないだろう」と踏んでいることも。

クリスは続けて言います「大人の学校の先生が、そんな汚い事をするなどとは考えてもいなかった、俺がバカだった、俺を女みたいだと思うか?」と泣きながらゴーゴーディに「誰もオレの事を知らないところへ行きたい。」と話すのでした。

そして、早朝ゴーディが最後の見張り当番をしていた時、野生のシカを見ます。
何故か、このことは自分だけの秘密にしようと思うのでした。

貨物列車が通過した音で、みんなが目を覚まします。

次の日は空腹の中、ゴーディ達は先を急ぐのでした。

”線路沿いを歩くより、森を抜けた方が良いと思う”と意見が4人の中から出始め、結果、森を抜けて早道することにするのでした。
指さし

森というには沼地の中、抜け道を進む途中に、大きな沼が4人の前にそびえます。

クリスが、沼の近くに生えている木の枝で沼の深さ図り、”浅いからこのまま歩いて行けそうだ”と言うと、浅いと思って進むと急に深くなり4人の胸元あたりまで水に浸かりながら、懸命に前と進むのでした。

バーンの首元に何かついているのに気づきます。
それはヒルだったのです。

4人は、慌てて沼を渡りきると服を脱ぎ始め、ヒルを懸命に取り払います。
しかし、ゴーディはパンツの中にヒルが入ってしまい、恐る恐るパンツに手を入れてヒルをとるが、手には血が…それを見たゴーディは、気絶してしまいます。

3人は、焦りと驚きとが混ざる気分になりました。

バーンが「初めて気絶した人をみた」といい、ゴーディが目覚めるのを待っていました。

3人は弱気になって引き返そうと考えているところに、ゴーディが目覚め、意地に先頭になって歩きはじめました。

慌ててゴーディに付いていく3人。
ゴーディ達は、目的地に着きみんなで死体を探すことに。

最初に死体を見つけたのは、バーンでした。
バーンの元へみんなが集まって来ました。

車

クリスが線路際の坂の下に、靴が脱げた状態の足が見え、茂みを木の枝で採って見ると、そこには3日前から行方不明になって探していた

レニー・ブラワーの死体があったのでした。

死体を見たゴーディは「何故、僕が死ななかったんだろう、父さんは僕の事を嫌っている」と泣く彼の肩をクリスが抱き「お前には才能がある」「もし書くことが無くなったら俺たちの事を書けばいい」となだめるのでした。
その時、対立していた不良グループのエース達も、この話を聞き死体を探していたのでした。

少年期の仲間意識・特別な友情

このスタンド・バイ・ミーは、10代特に12才に着目しています。

この主要キャスト4人も12才という設定になっています。

小学校から中学校へと上がりそれぞれが進路を意識し始めます。

特にアメリカでは、州によって変わりますが中学から、進学クラスと就職クラスとに分かれ、人生を大きく変える一つの起点になっています。

この作品でも、キャッスルロックが彼らの全てだったのが、冒険≒大人への階段を登るはじめの一歩になったのです。

”冒険の帰り道僕らは、黙ったまま家路に向かった”と死体を目の辺りにして特別な感情を共感したのでしょう。

この共感は、大人には理解されないものであり、感性豊かな時期の子供と大人の狭間で揺れ動く微妙な年頃、大人への通過点の儀礼を分かりやすく、観る人々に伝えたかったと感じます。

ゴーディは、「私は自分が12才の時に持った友人に勝る友人を、持ったことがなない。誰でもそうではないだろうか。」というメッセージは、原作者であるスティーブン・キング自身が自問自答しているかのようです。

成長するにあたり離れていく仲間

家路についた彼らは、旅を終えて一回り大きくなった様に見えました。

「じゃあ、また学校でな!」といいながらバーンが先に帰り、続いテディが家路に着きました。

クリスとゴーディは2人を見送ると、「大人になったら、この町を離れられる日が来るのだろうか。」と話し、「握手してくれ、また会おう」と言うとクリスから「オレから会いに来るさ」と言って別れます。

中学に上がってからは、それぞれに友人が出来た事もあり、バーンやテディとは段々と疎遠になっていきました。

クリスは、ゴーディに言われたように町を離れ、進学クラスに入り、大学までいき弁護士になっていました。

他のバーンは高校卒業後、結婚をし4人の子供の父親に。

テディは、軍隊に志願しますが、耳と目を理由に入隊出来ず、今は違う街で働いているといいます。

ゴーディ自体も作家になり2人の子供を持つ父親になっていました。

しかし、弁護士として活躍していたクリスが、入ったファースト・フードで客同士の揉め事の仲裁に入った所、喉を刺され即死したのを知ったゴーディは、パソコンに向かい何やら書き込み始めました。

「かれこれ、10年以上、彼とは会っていませんでした。しかし、12歳の時にできた、あの友情に勝るものはないと今でも思うのです。」と・・・その時、子供の声がしました。

「お父さんは書き始めると止まらないんだから。早くして!」と急かす言葉が聞こえて来ました。

「分かったから、少し待って」と返答すると「30分前も同じ事を言ったよ!」と答え、パソコンに向かい最後の言葉を入力し始めました。

「あのときにまさる友人を持ったことがない。そして誰もがそうではないだろうか。」と入力し、部屋を後にするのでした。

主要キャスト

主人公 ゴーディ・・・ウィル・ウィートン
リーダー クリス・・・リヴァー・フェニックス
黒縁メガネ テディ・・コリー・フェルドマン
おっとり バーン・・・ジェリー・オコネル

基本情報

基本情報
原題    Stand by me
製作年   1986年
配給    コロムビア映画
上映時間  89分
原作    スティーヴン・キング「死体」
挿入歌   Stand by me (ベン・E・キング)
監督    ロブ・ライナー
公開日   1987年4月18日(日本)

受賞歴

第11回日本アカデミー賞(1988年)
ノミネート 外国作品賞
第59回アカデミー賞  (1987)
ノミネート 脚色賞  レイノルド・ギデオン /ブルース・A・エバンス
第44回 ゴールデングローブ賞(1987年)
最優秀作品賞(ドラマ)
ノミネート
最優秀監督賞  ロブ・ライナー

みどころ

この映画がアメリカで公開されたのは1986年8月、日本公開は翌年4月。

映画「スタンド・バイ・ミー」は当初、駄作扱いをされ、公開どころか、どのスタジオからにもそっぽを向かれ、配給がつかずお蔵入り寸前の作品だったのです。

この配給を断ったのは、リヴァーが素晴らしい俳優になることも、ロブ・ライナーが監督として素晴らしいキャリアを作っていくことも思いも知なかったのです。

まず始めから、駄作扱いを受けるという苦戦を受けました。この企画をあちこちの映画会社に売り込みをかけても「ヒットするはずがない」と門前払い。

何とか、ようやく制作配給会社が決まるも、撮影開始直前になって、同社はコロンビア・ピクチャーズのオナー企業であったコカ・コーラが「無名の若い俳優ばかり」と言って、切り捨ててしまいました。

その窮地から救ってくれたのが、エンバシーのオーナーのひとりだったテレビプロデューサーのノーマン・リアでした。

彼は監督のロブ・ライナーが俳優として出演した人気テレビ番組のクリエイターでライナーの師匠的存在だった方でした。

ライナーの事も、彼の視点で書き直された「スタンド・バイ・ミー」の脚本にも気を召したリアは、制作予算の750万ドルを自分の懐から出し、映画は何とか予定通りに撮影にこぎつけたという裏話は、あまりにも有名です。

また、劇中で旅の中盤に沼地にヒルが出てきますが、あれは実は偽物なんですね。

あまりにもリアリティがあって作り物とは見えませんよね。

これは、ゴーディ役のウィル・ウィトーンも確認をしたそうです。

実際には、原作者であるスティーブン・キングの体験談だそうです。

また、あの沼地もスタッフによる人工的な物だそうです。

クリス(=リヴァー・フェニックス)が、劇中に何度も親からくすねてきたタバコを吸うシーンがありますが、あのタバコも偽物だそうです。

さや紙の中身は何と!乾燥させたキャベツの葉を使用していたそうですので、次回見る機会があったら、是非注目して観て下さいね。
こんな逸話もあります。

ポチャリ体型が可愛らしいバーン役を演じたジェリー・オコネルは、映画の撮影の合間に子守りの目を盗み、近くで開催されていたイベントへ出かけたのだとか。

そして、そこでジュリーが手に入れたクッキーには何と大麻!!が入っていて、そうとは知らず口にした11歳の彼は超ハイテンションに!その結果、撮影どころではなくなってしまい、少なくともロケが一日延期になったんだとか。

日本だったら大騒ぎどころではないですよね・・・。

最後のみどころとしてご紹介したいのが、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」。

映画を制作・配給したコロムビア・ピクチャーズは原作のタイトルを様々な理由で気に入らず、そこで映画用に新しいタイトルが必要となり、監督のロブ・ライナーが「ベン・E・キングの曲にちなんで”スタンド・バイ・ミー”と題して、映画のラストで同曲を流したらどうか?」と提案。

最終的には映画のラストで感動を盛り上げる相乗効果を高め、今となっては、この曲無しでの作品は考えられませんよね。

スタンド・バイ・ミーの和訳の紹介

ベン・E・キング「スタンド・バイ・ミー」は英文をそのまま訳すると「僕のそばに立つ」の様な意味合いの感じになりますが、歌詞を和訳すると分かりますが、歌詞の中に”願望”が込められ「僕の側にいて欲しいんだ」という雰囲気に。

歌詞全体のイメージは、「君が僕の側にいてくれる限り 怖いものなんてない だから 側にいて欲しいんだ」という感じになるそうです。
シンプルな歌詞に心に響くヴォーカルに、心を掴まれた人は多いはずです。

以下、英文歌詞引用/英文訳引用:Mr.マイウェイ訳
ベン・E・キング「Stand by me」

When the night has come
夜が訪れて
And the land is dark
闇に支配されて
And the moon is the only light we’ll see
月明りしか見えなくなくなっても
No I won’t be afraid
いや 僕は恐くなんてない
Oh ,I won’t be afraid
そう 怖くなんてないんだ
Just as long as stand, stand by me
ただ 君がいてくれたからね 僕の側に
So darling, darling
ねぇ、ダーリン
Stand by me, oh stand by me
僕の側にいてくれよ 僕の側にさ
Oh, stand, stand by me
いて欲しいんだ 僕の側に
stand by me
僕の側に
If the sky that we look upon
もし 僕達が見上げている あの空が
Should tumble and fall
崩れ落ちてきたとしても
All the mountains should crumble to the sea
全ての山々が海に崩れて沈んだとしても
I won’t cry, I won’t cry
僕は泣かないよ 泣かない
No, I won’t shed a tear
涙は流さないよ
Just as long as you stand, stand by me
ただ 君がいてくれたらね 僕の側に
And darling, darling
ダーリン
Stand by me, oh stand by me
僕の側にいてくれよ 僕の側にさ
Oh stand now, stand by me
たった今 いて欲しいんだ 僕の側に
Stand by me
僕の側に・・・
So darling, darling
だから ダーリン
Stand by me, oh stand by me
僕の側にいてくれよ 僕の側にさ
Oh, stand now, stand by me, stand by me
たった今 いて欲しいんだ 僕の側に
Whenever you’re in trouble won‘t you stand by me
君が困った時いつでも 僕の側にいればいいよ
Oh stand by me , oh won‘t you now, oh stand
僕の側にいて欲しいんだ 側にいればいいよ
Stand by me
僕の側にいてくれよ

スタンド・バイ・ミーのレビュー

この映画を観た方の感想を一部抜粋してご紹介したいと思います。

実際、男の子達はバカで弱くて向こう見ずで、それでも大人に成らねばならない自分の行く末に、ほとんど茫然としてしまう。

それまで大人に、親に頼って、成長してきたとしても、時がくれば自分で選択しなければならない、その日が必ず訪れる。

そんな、自ら選択する瞬間が来たとき、大人ではない、誰かの助けがいる。

その時、そばにいてくれる友達が言ってくれる。
「俺達は、いつも一緒だ。」
「お前なら大丈夫。」

そんな友人の言葉が、大人にしてくれたのだと、今にして思うととても簡潔で分かりやすい感想だと思い掲載させて頂きました。

スタンド・バイ・ミーの評価・感想

この「スタンド・バイ・ミー」は、原作者であるスティーブン・キングの半自伝的なもので、登場するシーンの多くは実際に体験したものだそうです。

『最初に完成品を観てもらった時、彼が全身を震わせているのが、隣にいてよくわかった。映画が終わると彼は試写室を出て、戻って来てこう言った。「私の原作の映画化で、まぎれもなく最高の一作だ。」』。

彼」とは、スティーブン・キング。

自作の映画化に対して、厳しい批判も辞さない大作家に緊張しながら完成作を魅せたときの、ロブ・ライナー監督の述懐です。

この映画で一際精細を放っていたクリス役のリヴァー・フェニックスが23歳の若さで薬物の過剰摂取により倒れてしまったのです。

友人であったジョニー・デップの経営していたお店「ザ・ヴァイパー・ルーム」で、飲んでいた時になったそうで、救急車を呼んだのは実の弟のホアキンだったそうです。

その場所は今、観光名所になっているそうです。

命日になると、ファンの人たちが花を献花しに来るそうです。

いまなを、私達の中では生きているんですね。

リヴァーといえば「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」では、インディの少年時代を演じて一躍有名に。

彼にとっては、最大の大作といわれているので、これで彼を知った人も少なくないはずです。

まだ、観ていない、興味が湧いた方は是非観て下さい。

これからという時に、亡くなってしまった彼が「スタンド・バイ・ミー」のクリスに重なります。
”あの時の僕らは大人になんかなりたくなかった’という映画のコンセプトに複雑な気持ちになります。

リヴァーが現在生きていたら、今は50歳。

どんな凄い俳優になっていたか、想像もつかないほど名優になっていたでしょう。

筆者の感想
私が初めて「スタンド・バイ・ミー」を観たのは、多分小学校の中学年頃だったと思います。
特に、リヴァーがカッコよくて最後まで彼しか観てなかった様に覚えています。
青い目に、金色の短髪が良く似合う子役さんだなと。
しかも役柄が賢いのに家庭環境が複雑で、アルコール中毒の父親に、不良の兄を持つ、とても難しい役どころをクリスになりきって演じていたの幼心に覚えています。
大人になって、再度観かえしてみると周りの人達の助けを避け、一人大人振っていたな…と思いました。
なので、今の子供たちに、まだ観たことない!!って子には、是非見せてあげて下さい。
子供の時に出来た友情は、大人になっても変わらず、記憶の隅に何時までもあり続けるものだから。