第35回「欲望の怪物」
どんどん出世して関白殿下になった「豊臣秀吉」は今回も欲望の暴走が止まりません。
大坂への上洛を決めた家康ですが、まだ真の秀吉の欲望には気づいていないようです。
今回もめちゃくちゃな言動の秀吉に、ヒヤヒヤしました。
今回のあらすじ
前回の評定での結果、家康は大坂の秀吉のもとへ上洛することに決めた。
これは家臣たちも涙を浮かべての決断だった。
家康の上洛との引き換えに、秀吉は自身の母・仲を三河・岡崎城へ送るのだった。
家康のもとへは旭(秀吉の妹)が嫁いでいる。
旭は仲を快く迎えた。
仲は秀吉から送られた人質だけに「老いた母をこんなところに追いやって」と不満をもらしていた。
だけどそこで、心惹かれる者に出会ったそうだ。
案内役の大久保忠世をそっちのけに、仲の目はその奥にたたずむ井伊直政に夢中であった!
その頃、家康一行は大坂で(羽柴から姓を改め)豊臣秀長の屋敷にて宿泊しようとしていた。
家康一行とは、酒井忠次(左衛門尉)、本多忠信、榊原康政(小平太)、鳥居元忠(彦右衛門)である。
秀長が丁重にもてなししているところに、突如秀吉が現れる。
家康と対面した秀吉はたいそう(ウソ泣きをするほど)喜んだ。
そして、寧々(秀吉の正室)をはじめ、侍女たちを用意し、宴を始める。
そこでの秀吉はおおはしゃぎしていて、寧々を連れて家康家臣を紹介していった。
しかし、鳥居元忠にいたっては紹介しようにも名が出なかった。(秀吉と接点はなかったのか?)
そのようなおおはしゃぎ様なので、秀吉は一足先に寝てしまった。
寝ている秀吉の側で、家康、寧々、秀長が談話を始めた。
寧々は「夫は言っとりました。信用できると思えるのは二人だけ。信長様と徳川殿。お二人とも裏表がないと。」と明かした。
秀長も「天下統一したいという思いは兄も同じ、どうぞ末永く支えてやってくだされ」と家康に頭を下げていた。
家康は「秀長様に北政所様(寧々)に、関白殿下には良い身内をお持ちである」と言った後に、寝ている秀吉に声をかけた。「起きておいででござろう?」
なんと秀吉は起きて、家康たちのやりとりを聞いていたのだ。
家康は秀吉に向かって、改めて「殿下を支えると決め申した。もう陣羽織を着させぬ覚悟でございます」と伝えた。
これに秀吉は、家康に「一芝居打ってくれないか」と頼むのであった。
次のシーンでは、大坂城の広間に諸大名たちが勢ぞろいしていた。
家康は上段に座った秀吉にこう挨拶した。
「徳川三河守家康、関白殿下のもと天下統一のために励みまする。」少し間が空き「ついては、殿下の陣羽織を頂戴いたしとうございます」
諸大名からしてみれば、衝撃発言である。
「これは戦場で欠かすことのできぬ陣羽織であるぞ!」と秀吉もうろたえるが、家康は続けて「この家康がいるからには二度と、二度と、二度~と…!殿下に陣羽織は着させませぬ」と意思を示した。
秀吉は「これぞ武士の鑑ぞ!わしを戦場には行かせないと表明した」と感銘を受けていた。
このやりとりにより、秀吉と家康の関係が強固になったものだと諸大名に印象付けることに成功した。
その後、秀吉は家康に北条を任せると伝えた。北条が大坂城へ来なかったからである。
しかし、それをやり遂げるには厄介なことを片付けなければならなかった。
真田氏とのことである。
真田昌幸が自身の領地である沼田を家康が勝手に北条へ差し出したという、因縁ある問題ごとだった。
「元はと言えば、どなたがエサを与えたのですか」と、家康は秀長を見ながら問うた。
それでも、秀吉は「駿府に着いたら、家康を訪れるよう昌幸に伝えておく」と真田の件も任せた。
その頃、浜松城にいる仲は、井伊直政をたいそう気に入り、彼にいろいろ食事をさせて可愛がっていた。
仲は「こんなに美しく生まれて、お母上に礼を言わねばいけんぞ。母上は息災か?」と直政に聞いてきた。
直政は「私の母は少し前に亡くなりました。私は散々母を困らせてきた。仕官する際にも母が方々に頭を下げた。もっと孝行しておけばよかった」と自分の気持ちを吐露していた。
これに対して「されど、ようここまで出世して、さぞお母上もお喜びでしょう」と今度は旭が気遣った。
この言葉に直政は「『出世』という意味では、一番の出世は関白殿下でございます。大政所様(仲のこと)こそ幸せなのではないでしょうか」と仲に問うた。
仲は「わしゃ、幸せなんかな」と首を傾げていた。
一方、大坂の家臣一行はというと廊下にて一人の男と出会っていた。
男は双眼鏡で星を見ていて、「この3点を結ぶとひしゃくの形になる」など星の話を熱心にしていた。
彼は豊臣一の切れ者と名高い「石田三成」であった。
三成は星や地球の話を交えながら「まつりごとも、新たなる考え方が必要だ」とも説き、家康もこれに共感した。
そして、2人は星について仲良く話していた。
そのような2人を見ながら、徳川家臣たちは「殿は戦の話より、あのような話がしたかったんじゃ。あのような話ができる家臣はおらんからな」と驚きながらも納得していた。
家康が上洛したので、仲は人質としての役目を終えて大坂へ帰れることとなった。
だが、仲は「帰りたくない」とつぶやいた。
関白殿下がお待ちだという大久保に対しても「関白って誰じゃあ」と答えた。
さらに「ありゃ、わしの息子なんかのう?わしゃ、あれのことをなんも知らん。わしゃ、ただの貧しい百姓で、ずっと働きづめで、ありゃにゃあ、しつけの一つもしとらん」と告白する。
秀吉は10歳かそこらで家を出てしまっていたのだ。「それが何年かして、ひょっこり帰ってきたら、織田様の足軽大将になっとった。それからは、あっちゅう間に出世して、今は天下人……、関白じゃと」と息子の出世を信じられない様子だ。
続けて「ありゃ何者じゃ?わしゃ何を生んだんじゃ?とんでもねえ、化け物を生んでまったみたいで、おっかねえ」と怯えると、「誰かが、力づくで首根っこ押さえたらんと、えれえことになるんでないかのお」「そう徳川殿にお伝えしてちょう」と懇願した。
母親でさえ、秀吉の欲望に危惧していた。
実際、それは当たっていた。
先ほどの秀吉と家康のシーンで、改めて家康は秀吉に「私は、二度と無益な戦をせぬと心に決めております。この世を、戦なき世にいたしましょう」と述べた。
これに秀吉も穏やかな表情で応えたため、家康はその場を後にした。
しかし、立ち去った後に秀吉は表情を変え「戦なき世か。戦がなくなったら、武士共をどうやって食わしていく。民もじゃ。民をもっともっと豊かにしてやらにゃいかん。日ノ下を一統一したとて、この世から戦がなくなることはねえ」と本音をつぶやいていた。
そして「切り取る国は、日ノ本の外にもまだまだあるがや」と背後を振り向いた。それはどこかの地図であった。
そのような秀吉を、弟である秀長さえも引き気味に見ていた。
秀吉が言った言葉の中で“駿府”が出たが、家康たちは今まで暮らしてきた浜松城から駿府城(今川家の屋敷の跡地)へ移ることとなった。
城の者たちは“引っ越し準備”に忙しい。
そのような中、家康は於愛に浜松の民に礼を言いに行こうと提案する。
民に餅を振る舞ったり、礼を言ったりしていたところに、ある老婆が「まさかこんなに立派になるとは思っていなかった」と驚きと敬意を表していた。
この老婆というのは、浜松の地に徳川一行が入ってきたのを好ましく思ってなかった民だ。
団子に石を入れたり、家康の悪い噂を流したりしていた。
それでも、家康は責めずに「いつまでも語り継いで、わしを笑っていておくれ」と穏やかに応えた。
こうして、駿府城に移った家康は訪問した真田氏親子と対峙していた。
しかし、真田昌幸・信幸親子は、ここでも例の沼田領を差し出すことを拒んだ。
家康が理由を聞くと、昌幸は家康の壺を勝手に取って信幸にあげようとしていた。
つまり、真田(自分たち)が切り取った沼田を、家康が北条に差し出す道理がないというのが言い分だった。
家康が代わりの所領を与えると提案しても、「徳川殿を信用していないもので」とこれも拒否した。
「なら、何が望みなのじゃ」と問う家康に、昌幸は「信幸の妻に徳川殿の姫君をいただきたい」と要求した。
「あいにく、殿には年頃の姫がおりませぬ」と酒井忠次が申すと「ならば、重臣の姫を徳川殿の養女にしていただいてもかまわない」とまで言ってきた。
ちなみに、徳川家臣の本多忠勝には「稲(いな)」という娘がいる。
彼女は、家康の側室・於愛の話(家康からの書状を読み上げるとき)を聞かなかったり、民のための餅を勝手に食べたりと困った娘である。
於愛の生け花の指導を受けているとき、稲を見張る鋭い眼差しの忠勝が印象深かったーーー
今回の見どころ
今回の見どころは、家康の大坂上洛でのやりとりです。
今まで秀吉にひざまずくことを拒んでいた家康が、意を決して上洛したのです。
上洛の内容は通説どおりなのでしょうか。
通説との違い
1586年10月18日、ドラマと同じように豊臣秀吉は旭姫を見舞う目的で、自身の実母である「仲」を岡崎城へ人質として送ります。
これを受けて徳川家康は上洛して、10月27日に大坂城へ到着しました。
そして、諸大名の前で家康は豊臣秀吉への臣従の意を表しました。
しかし、この臣従の意には裏がありました。
ドラマと同じように、通説も前の日(10月26日)に家康は豊臣秀長の別邸を宿所としていました。
そこへ秀吉がふいに訪れました。
そして、家康を奥座席に連れていって、存分に話し合ったといわれています。
自分の胸中を吐き出して、本音を覗かせるのは秀吉のお得意のやり口ですが、そのときに秀吉は家康にこのようなことを言っています。
「秀吉に天下を取らせるのも失わせるのも、家康殿の御心一つにかかっている」
諸大名の前で徳川家康が自分を敬う姿勢を見せれば、彼らが自分へ主君の礼を尽くしてくれるかもと考え、恭順の姿勢を示してほしいと頼み込んだのです。
この恭順の際に陣羽織が使われています。
これは「今後は秀吉様に、陣羽織を着て戦場へ出陣頂くようなご苦労はお掛けしません。私が合戦の指揮を執ります」という意味が含まれています。
家康44歳、秀吉50歳のときでした。
※しかし、この逸話自体は後世になって創作されたものと考えられています。
仲はどのような女性だったのか
今回の話では、秀吉の実母である「仲」が登場しました。
仲は豊臣秀吉、秀長、旭の実母です。
しかし、仲は2度結婚しているため、秀吉と秀長・旭は異父兄弟妹です。
2番目の夫は織田家に仕えていた者です。
しかし、秀吉はこの継父と馬が合わず15歳で家を飛び出しました。
彼は子どもの頃から、下層民ではなく、出世して自身の名を広めたいと考えていたからです。
家を飛び出した後、今川家の陪臣(家臣の家臣)になり、それから織田信長の家臣になりました。
この間に仲の夫は亡くなりました。
夫に先立たれた仲は、秀吉のもとへ引き取られます。
そのときには、秀吉の正妻である寧々とも一緒でした。
その頃の秀吉は出世を果たして「長浜城」の城主となったため、そこが仲たちの住まいになりました。
しかし、「本能寺の変」で状況が変わります。
1582年に本能寺の変の後、長浜城も明智光秀の手によって落ちてしまいました。
仲や寧々は伊吹山の山麓にある「大吉寺(だいきちじ)」へ逃げ込みました。
その後、歴史上では織田信長を討った明智光秀が殺害されます。
天下統一を目指した秀吉は、1583年~1598年にかけて「大坂城」を築きました。
この大坂城が仲や寧々たちの次の住まいになりました。
そして、秀吉が関白に就任します。
このとき、仲にも「大政所」の呼び名が与えられました。
大政所とは、関白である人物(ここでは豊臣秀吉)の母親に対して、天皇が贈る尊称のことです。
関白になった秀吉は、ますます野心を剝き出しにします。
ドラマでもお伝えしている通り、秀吉は家康との関係を強固なものにするため、自身の妹である旭を家康の正室にして(旭の旦那と別れさせても)嫁がせます。
それでも家康は上洛しなかったので、今度は母親である仲が旭を見舞う口実に、人質として岡崎城へ送り込まれました。
仲は約1か月、人質生活を送って大坂城へ戻りました。
しかし、もともと疲れやすいタイプの体だったため、大坂・三河間の長旅で病気がちになってしまいました。
娘の旭が心配して駆けつけて看病にあたりましたが、その旭が先に病死してしまいました。1590年のことです。
娘が先に亡くなってしまったことに、仲は非常に気落ちしました。
そして、仲もさらなる体調不良に見舞われ、何度も闘病したのちに1592年7月に死去してしまいました。
77歳の生涯だったといわれています。
前回の記事では、旭姫の生涯について語りました。
旭と同様、人質生活は環境がガラッと変わってしまうので、血族までも犠牲にする秀吉の欲望には恐ろしいものがあります。
今回の配役
仲役を演じたのは、高畑淳子さんでした。
略歴
1954年10月、香川県生まれ。劇団青年座に所属。
現・劇団に大学卒業後に入団し、舞台女優としてデビューする。
1980年代後半から1990年代前半にかけて、東映特撮作品に多数出演している。
テレビドラマでの活躍は1970年後半から始まり、以降数々のドラマや作品に出演している。
2014年秋の叙勲では「紫綬褒章」を受章した。
今までの主な代表作(ドラマ)
- 毛利元就(NHK大河ドラマ)
- 篤姫(NHK大河ドラマ)
- 真田丸(NHK大河ドラマ)
- つばさ(連続テレビ小説)
- なつぞら(連続テレビ小説)
- 舞いあがれ!(連続テレビ小説)
- 魂萌え!(NHK・主演)
- 3年B組金八先生(第4シリーズ~第7シリーズ)
- 白い巨塔(2003年版)
- 14歳の母
- 夫婦道
- 遺品整理人・谷崎藍子~使者が遺したメッセージ~(主演)
- 新・示談交渉人 裏ファイル(主演)
- 私は代行屋!晴子の事件推理(主演)
など
まとめ
今回のサブタイトルは「欲望の怪物」でした。
このタイトルは、もちろん豊臣秀吉を指しますが、番組終盤に登場した真田昌幸も「欲望の怪物」に見えました。
秀吉よりは道理が通っていそうに見えますが、姫君が欲しいとはどのような真意なのでしょうか?
同盟か?人質か?
来週も目が離せませんね。